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高飛車な態度にフラストレーションがたまった

楠木:超音速機ブームの時も、先ほどの747のジョー・サッターさんは、不利な立場にあったと思いますが、超音速機のその後も予見していたのでしょうか?

藤野:そこまでは分かりませんが、バーなどで、サッターさんの隣に超⾳速機の関係者が座ると、すごく⾼⾶⾞な態度だったので、フラストレーションがたまった、いつもイライラしていたというような話は⽿にしたことがあります。サッタ―さんは⻑期的な将来像を考えていたのかもしれませんが、その当時の彼の⽴場でいうと、ボーイングは(747の開発のために)1⽇に400万ドル(約4億2000万円)を費やしているという状況だったらしいですから、彼(サッタ―さん)も社内的にとてもつらい立場にあったのだと思います。

楠木:ご自身で、激動期トラップにはまりそうになった、とか、危ないところだった、と思ったことはありますか。

藤野:私は(ホンダジェットの開発に関して)いろいろなプレッシャーを受けていたので、サッタ―さんの話はすごく分かったし、むしろ励みになりました。その時だけの「今こそ激動期」といった世間の風潮に左右されるのではなくて、本質的に世の中がどういう方向に進むのかを考えてきました。

 我々に直接関連する例で言いますと、ベリーライトジェット(超小型機)ブームのエピソードがあります。ベリーライトジェットのブームは、2000年くらいにやってきましたが、私がホンダジェットのコンセプトを作り始めたのは、その5年前の1995年頃からです。ブームの前から徐々に基礎技術を積み上げてきていたので、ベリーライトジェットブームの時に「バスに乗り遅れるな」といった反応をすることはありませんでした。

ホンダジェットのコンセプトづくりは1990年代半ばから始まっていた
ホンダジェットのコンセプトづくりは1990年代半ばから始まっていた

 実際に、他の多くの会社は、十分な準備をせず、⾏き先も⾒ずにバスに乗ってしまうような感じがありました。我々はもっと⻑期的に考えており、みんながバズワードを使う前に開発を始めて、長期的な視点やビジョンを持って一歩ずつ進めていたというアドバンテージが⼤きかったと思います。