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 大きな進歩を遂げて活用が広がる人工知能(AI)。これまで数年の周期で「ブーム」と「冬の時代」を繰り返し、今まさにブームである春の真っただ中だ。本特集では、世界的名著「ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環」(白揚社)の著者、ダグラス・ホフスタッターのまな弟子が「AIの春」について4回にわたってお届けする。第2回はAIに人間のような「思考」ができるかの議論と、2014年に実施された人間とコンピューターを見分ける「チューリングテスト」を紹介する。

機械は思考できるのか?

 1930年代にプログラム可能なコンピューターの構想を初めて描いたイギリスの数学者アラン・チューリングは、「機械は思考できるのか?」という問いかけは何を意味しているのかを問う論文を1950年に発表した。

 そのなかでチューリングはのちに有名になった「イミテーションゲーム」(現在では「チューリングテスト」と呼ばれている。このテストについてはこのあと取り上げる)を提唱し、次に、彼が否定しようとしていた「本当に思考する機械」のあらゆる可能性に対して、反論になりうる点を九つ挙げた。

 チューリングが想定したこれらの反論は多岐にわたっていて、「思考とは人間の不滅の魂によって行われるものだ。神はすべての男と女に不滅の魂を授けられたが、ほかの動物、それに、機械には授けなかった。それゆえ、動物や機械は思考することができない」という神学的なものから、「人間はテレパシーによる意思疎通ができるが、機械にはできない」というような超心理学的なものまであった。

 不思議なことに、チューリングはこの超心理学的な反論について、「少なくともテレパシーについては動かしがたい統計的証拠がある」ため「かなり説得力があるもの」だと考えていた。

 何十年もの時を経た今日から振り返ると、私はチューリングの反論のなかで最も有力なのは「意識の観点から」のものだと思う。チューリングはこの主張について、神経科医ジェフリー・ジェファーソンの言葉を引用して次のようにまとめている。

 文字や音符という記号を無作為に並べるのではなくて、思考や込み上げる感情によってソネットを書いたり協奏曲をつくったりできる、つまり、機械がただ創作するのではなく自身が創作したのだとわかるようになって初めて、機械は人間の脳と同等だといえるだろう。だが、どんな機械も、うまくいったときに喜びを感じたり(この「感じる」とは単につくりものの信号で示せるようにするといった安易な策のことではない)、自身のなかの真空管のヒューズが飛んだときに深く悲しんだり、おだてられて照れくさくなったり、失敗して惨めになったり、セックスにうっとりしたり、欲しいものを手にいれられなくて怒ったり落ち込んだりすることはできないのだ原注1

 この主張の論点はこういうことだ。(1)機械が「物事を感じて」自身の振る舞いや感情を認識している、つまり意識がある場合のみ、「機械は真に思考している」といえる。(2)だが、どんな機械にもそういう場合はない。それゆえ、「真に思考できる機械は存在しない」