全1103文字
PR

 サンマの水揚げ量で全国有数の漁港を持つ宮城県女川町。東日本大震災の津波で鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物が複数横転し、建築関係者に衝撃を与えた。その後、女川町は防潮堤ではなく、市街地のかさ上げによって復興を目指す。壊滅的な打撃を受けた市街地の再建は急ピッチで進み、他の被災自治体のお手本ともされた。

東日本大震災の津波が襲った宮城県女川町の市街地。鉄筋コンクリート造、4階建てのビルが倒壊した。2011年4月撮影(写真:日経アーキテクチュア)
東日本大震災の津波が襲った宮城県女川町の市街地。鉄筋コンクリート造、4階建てのビルが倒壊した。2011年4月撮影(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]

 女川港からわずか100mほどの場所に、津波の威力を今に伝える震災遺構がある。2020年2月末に整備を終えて公開された「旧女川交番」だ。周囲には通路が整備され、壁面の展示で女川町の被災状況や復興事業などを振り返ることができる。

 鉄筋コンクリート造2階建ての旧女川交番は、1980年に建設された。震災の津波(引き波)で杭が引き抜かれて横転。ほぼ当時の状態のまま残されている。

横倒しになった旧女川交番。奥には駅前に整備された商業施設「シーパルピア女川」などがある。2021年2月撮影(写真:村上 昭浩)
横倒しになった旧女川交番。奥には駅前に整備された商業施設「シーパルピア女川」などがある。2021年2月撮影(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

旧女川交番の展示の一部。建物の被災状況を図面などで解説してある。2021年2月撮影(写真:日経アーキテクチュア)
旧女川交番の展示の一部。建物の被災状況を図面などで解説してある。2021年2月撮影(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]

 旧女川交番には、震災直後から現在に至るまで、多くの記者が取材の際に立ち寄ってきた。その際などに撮影した写真を見ていくと、復興の進捗を追うことができる。

震災直後の旧女川交番。一帯は地盤沈下で水没したままになっていた。左隣にも横転した建物がある。女川町は2011年当時、旧女川交番と女川サプリメント、江島共済会館の3つの建物を震災遺構の候補として挙げていた(写真:日経アーキテクチュア)
震災直後の旧女川交番。一帯は地盤沈下で水没したままになっていた。左隣にも横転した建物がある。女川町は2011年当時、旧女川交番と女川サプリメント、江島共済会館の3つの建物を震災遺構の候補として挙げていた(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]

2012年撮影。震災から約1年が経過し、周辺の片付けが進んだ。13年11月には旧女川交番を保存し、女川サプリメントと江島共済会館を解体する方針が決まった(写真:日経アーキテクチュア)
2012年撮影。震災から約1年が経過し、周辺の片付けが進んだ。13年11月には旧女川交番を保存し、女川サプリメントと江島共済会館を解体する方針が決まった(写真:日経アーキテクチュア)
[画像のクリックで拡大表示]

2015年撮影。町内では復興に向けてかさ上げが進んでいる。宮城県震災遺構有識者会議は15年1月にまとめた報告書で旧女川交番について、「鉄筋コンクリート造の建物が津波で横倒しになった事例として、希少性が高い」と評価した(写真:村上 昭浩)
2015年撮影。町内では復興に向けてかさ上げが進んでいる。宮城県震災遺構有識者会議は15年1月にまとめた報告書で旧女川交番について、「鉄筋コンクリート造の建物が津波で横倒しになった事例として、希少性が高い」と評価した(写真:村上 昭浩)
[画像のクリックで拡大表示]

2015年3月撮影。写真中央が旧女川交番。右手奥がJR石巻線の女川駅。15年3月21日に運行を再開した。同日時点で町内の造成の進捗率は約37%だった(写真:吉田 誠)
2015年3月撮影。写真中央が旧女川交番。右手奥がJR石巻線の女川駅。15年3月21日に運行を再開した。同日時点で町内の造成の進捗率は約37%だった(写真:吉田 誠)
[画像のクリックで拡大表示]