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 東日本大震災の直後、5人の建築家が「帰心の会」を結成し、被災地に何が必要かを議論した。メンバーの1人で、被災地に建てた計16棟の「みんなの家」を支援するNPO法人、HOME-FOR-ALLの理事を務める山本理顕氏が、震災後の10年間を振り返りつつ、建築設計者として取り組むべき課題について語った。(聞き手:森山 敦子)

山本 理顕(やまもと・りけん)氏
山本 理顕(やまもと・りけん)氏
1945年中国北京市生まれ。68年日本大学理工学部建築学科卒業。71年東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了後、東京大学生産技術研究所原研究室生。73年山本理顕設計工場設立。2002〜07年工学院大学教授。07〜11年横浜国立大学大学院教授。11〜13年横浜国立大学大学院客員教授、日本大学大学院特任教授。18年から名古屋造形大学学長(写真:日経アーキテクチュア)
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この10年間、東日本大震災の被災地と、どのように関わってきましたか。

 岩手県釜石市平田で、仮設住宅団地の中に「みんなの家」を設計しました。解体のしやすさを考えて鉄骨と膜屋根で構成し、基礎を1カ所だけにした。使われている間は年に2回、事務所のスタッフなどが断熱用の膜を張り替えに行き、住民と交流を続けてきました。仮設住宅の解体に伴って2021年2月に撤去されることが決まった際は、住民から残念がる声が届きました。

釜石市平田のみんなの家。仮設住宅団地の解体に伴い、2021年2月に撤去された(写真:日経アーキテクチュア)
釜石市平田のみんなの家。仮設住宅団地の解体に伴い、2021年2月に撤去された(写真:日経アーキテクチュア)
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被災地で家や仕事を失った人々が新しい生活を取り戻す拠点として整備した「みんなの家」。その意義を、改めてどのように捉えていますか。

 いずれも住民の方々に喜ばれ、十分に役割を果たしたと考えています。こうした活動は、当時急務だった避難に対する救済策だった。ただし、根本的な解決策ではなかったと考えています。被災地の復興に向けて、未来の都市に対する視点が決定的に欠けていた、という反省の思いが私の中では非常に強い。

 震災の直後、早い段階で、未来に向かってどういう都市をつくるべきかという提案やメッセージを、私自身が発信しなくてはいけなかったという思いがあります。復興計画を立てる前に、今までの都市計画自体を見直すことも必要だったのではないでしょうか。

 震災復興では、建築家という専門家集団があまり役に立たないということを、強く感じました。それは我々建築家が、きちんとした提案をしなかったからではないかと思っています。国がかさ上げなどの基本方針を示した際に、それ以外の案を、専門家集団として提出する動きはありませんでした。

 震災復興で何ができたかというと、残念なことに、何もできていないのではないかと思います。