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 東日本大震災の直後、伊東豊雄氏ら5人の建築家が「帰心の会」を結成し、被災地に何が必要かを議論した。被災地に建てた計16棟の「みんなの家」を支援するNPO法人、HOME-FOR-ALLの理事長も務める伊東氏が、みんなの家や岩手県釜石市の復興ディレクターとしての取り組みなどを通じて被災地で得た教訓と、今後の展望について語った。(聞き手:森山 敦子)

伊東 豊雄(いとう・とよお)氏
伊東 豊雄(いとう・とよお)氏
1941年京城市(現・ソウル市)⽣まれ。65年に東京⼤学⼯学部建築学科卒業。65〜69年菊⽵清訓建築設計事務所勤務。71年アーバンロボット(URBOT)設⽴、79年に伊東豊雄建築設計事務所に改称。2005年からくまもとアートポリス・コミッショナーを務める。13年プリツカー賞を受賞(写真:稲垣 純也)
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東日本大震災で、どのような課題が浮き彫りになったとみていますか。

 私には、被災地で進んでいるかさ上げや高台移転といった均質的で近代主義的な復興事業によって、多くの被災地の地域性や伝統的な特徴が失われたように見え、残念です。復興によって街の構成が大きく変わってしまったことが、本当にその街の人たちのためになったのか。私はかなり疑問に感じています。

 どの街も同じように復興をしなくてはならない。同じような仮設住宅をつくり、公営住宅をつくり、防潮堤をつくり。均質主義とでも呼べばいいでしょうか。被災した地域は、生活自体が都会とは違っていて、共同体みたいなものを大切にしながら暮らしてきた人たちの場所でした。そうした地域の復興を、均質に進めたことに違和感があります。

 東日本大震災の復興に関わる以前から、公共建築物のコンペティションで審査する機会が多く、どこの街も同じようにしなくてはいけない、という均質主義、いわば近代主義的な思想がはびこっていると感じていました。各地の震災復興を見て、その印象が強くなりました。

 自分自身も、ずっと近代主義を信奉して建築を考えてきました。特に建築における近代主義的思想では、自然を技術によって克服しようと考えます。そうすると自然との関係が絶たれてしまうのです。

 そのことについて考え直さなくてはいけないだろうと思い、復興ディレクターを務めた岩手県釜石市では、街の人と時間をかけて話し合って、こういう街にすればいいのではないかと絵を描いて提案しました。でも、国の予算は取れなかった。建築家は国から期待されていないのだと、嫌というほど痛感しました。

 どういう街にしたいのかを、もっと街の人たちと一緒に考えたかった。結果的に、最低限のことしかできなくて、その最低限のことというのが「みんなの家」だったのです。