「国立競技場」や「高輪ゲートウェイ駅」、「角川武蔵野ミュージアム」など最近の話題作を次々と手掛ける隈研吾氏。1991年に建築界で物議を醸した「M2」から約30年、いかにして国民的建築家へと変貌を遂げたのか。連載では隈氏本人が語る「隈建築の進化」の他、転機となった代表的なプロジェクトについてイラストを交えて解説する。

連載
隈研吾建築図鑑
目次
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東京で仕事がない「空白の10年」、隈研吾氏がたどり着いた脱作品志向
特別インタビュー「隈研吾を変えた10の建築」後編
誰しも何十年か仕事を続けていれば、波瀾万丈(はらんばんじょう)あるもの。建築家・隈研吾氏にも、東京でほとんど仕事ができない「空白の10年」があった。特別インタビュー後編では、1990年代に隈氏の転機となった木材との出会い、2000年代に手掛けた建築を中心として隈氏に語ってもらった。
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「埋めればいいと考えた時期も」、隈研吾氏が語ったM2の“トラウマ”と見出した鉱脈
特別インタビュー「隈研吾を変えた10の建築」前編
最近の建築・都市におけるビッグプロジェクトで隈研吾氏が携わったものは実に多い。いまや一般の人々に対する知名度も上がり、建築設計者として飛ぶ鳥を落とす勢いといえるだろう。しかし、現在に至るまで隈氏の“進化”はそう単純なものではなかった。宮沢洋氏が聞き手となって実施した隈氏インタビューの前編。