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現行業務の隠れた制約が障壁に

 生産システムは既に様々な面で効率化されているため、機械学習モデルによる仕組みを導入してすぐに効率化できる部分はそれほど多くない。まずはその対象箇所を探すこと自体が大変である。

 またこの事例のように、消耗部品の発注タイミングや部品の保管場所といった業務制約が、機械学習モデルを導入することで守れなくなることがある。交換時期を予測する機械学習モデルの導入であっても、周辺のプロセスや業務に影響することがある。

 一般に機械学習モデルの導入では実用レベルの予測精度が必須となるため、まずはデータ収集や機械学習モデルの精度の評価から始めることが多い。また、こうした取り組みを紹介する情報も精度にフォーカスしているケースが多い。しかしこの事例のような業務制約が、機械学習モデルの構築やモデルの導入可能性に大きく影響を与える。

 そうした制約は業務部門がすべて把握しているとは限らない。また、把握していたとしてもヒアリングの際に出てくるとは限らない。そのため機械学習モデルを導入するプロセスや業務を分析して全体像を把握しておかなければならない。

 モデルの精度が事前に分かっていれば粒度の細かい対象業務の特定から始める進め方も考えられるが、多くの場合はモデルの精度が決まらなければ対象業務が決まらない。そのためモデルの精度が決まったうえで、細かい対象業務の特定や業務分析をする必要がある。

 こうした業務分析は機械学習モデルに特化したものではない。これまでのシステム開発でも実施していたものだ。しかし機械学習モデルの導入では、データ収集やモデルのチューニングといった活動に目が向きがちで、業務分析は不十分になりやすい。現行の業務やプロセスをそのまま機械学習モデルで置き換えるだけで済むとは限らない。業務やプロセスの変更箇所がどのようになるかを、予測精度が妥当かどうかと同時に調べる必要がある。

 対象業務を決めるのは簡単ではない。筆者は、対象業務がもたらす価値を明らかにしたうえで、それを生み出すのに必要な業務やプロセスをドキュメント化し、現行業務やプロセスと比較することを勧めている。今回の事例では、これまでよりも適切な消耗部品の交換時期を予測し、実際に交換することが価値だ。この価値を提供するには、カメラで撮影した画像やセンサーから得た振動の情報を基に、消耗部品の交換時期を予測するだけでなく、予測に基づいて消耗部品を実際に交換する作業までを含めなければならない。そうすることで、交換時期や交換部品の発注・保管が業務分析の対象となることに気づきやすくなる。

 筆者はブリヂストンと実施した産業用タイヤの交換時期を予測するための共同研究において、この価値提供に着目して必要なプロセスを特定する方法を活用した。本記事で紹介した事例の内容とは異なるが、参考になるので紹介する。

機械学習モデルを用いたタイヤ交換日の予測
機械学習モデルを用いたタイヤ交換日の予測
田口 悠介:「タイヤの交換時期を予測する機械学習モデルとデータの品質保証の取組み」,クオリティフォーラム2020を基に筆者作成
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 提供する価値は、機械学習モデルを用いたタイヤ残溝の予測による適正なタイヤ交換日の推奨だ。交換日は交換手順や新しいタイヤの手配などに必要となる条件を満たす必要がある。

 その価値の実現のために、タイヤや車両からのデータ収集、機械学習モデルに与えるデータの品質の確認(欠損値やイレギュラーデータの検出と対処)、機械学習モデルによるタイヤの残溝の予測、残溝の予測結果とタイヤの在庫やメンテナンス計画を総合的に判断したタイヤ交換日の計画を対象とした。

 そのうえで、機械学習モデルによる残溝の予測が最終的な顧客価値につながることを確認しながらソリューション全体を計画し、品質保証の方策を整えた。また、現行の(機械学習モデルを用いない)タイヤ交換手順による価値と比較することで、機械学習モデルを導入した場合に満たすべき条件(タイヤの保管や交換人員の確保)や関連手順を含めて提供価値を想定した。

 この場合でも、データ収集や残溝の予測の精度ばかりに注視しているとタイヤの在庫や交換のための人員確保といった点が抜けてしまう可能性があるが、予測から交換までの一連の活動を提供価値と捉えることで全体感をもって対応できる。

森崎 修司(もりさき・しゅうじ)
名古屋大学 大学院情報学研究科 准教授
大学院修了後、情報通信企業においてITエンジニアとしてシステム構築に従事。2013年より現職。実証的ソフトウエアエンジニアリングやドキュメントレビューの研究に従事。情報処理推進機構(IPA)の「つながる世界の品質指針検討ワーキング・グループ」をはじめ3つのワーキンググループの主査を務める。著書に『間違いだらけの設計レビュー改訂版』(日経BP社)がある。