全3555文字

 人工知能(AI)活用の準備段階で、実現可能性を確かめる「概念実証(PoC)」と呼ぶ工程がある。「PoC貧乏」「PoC止まり」という言葉に象徴されるように、PoCから先に進まないケースが少なくない。名古屋大学でソフトウエアエンジニアリングを研究する筆者がAI活用に取り組む企業の協力を得て調査したところ、AIのスピーディーな業務適用を妨げる3つの壁が浮かび上がった。今回は1つめの「業務制約の壁」を取り上げる。この壁はどういうものか、まずは架空のストーリーで紹介しよう。

 大手製造業でデジタルトランスフォーメーション(DX)部門に所属するAさんは、生産の効率化、製品の品質向上を目的とし、自社の生産システムに機械学習モデルを導入できないか検討している。生産の効率化や製品の品質向上にはこれまでも様々な側面から試みており、導入できそうな対象箇所を見つけるだけでも簡単ではないと感じている。

 Aさんは多くの会議に参加して、様々な工程や作業内容を聞き、ある生産設備の消耗部品の交換時期が予測できていないことを知った。対象となる生産設備はa、b、cの3種類ある。3種類のいずれも現行では次のように判断し、部品を交換している。

 毎日定刻に熟練者が打音検査と目視で点検し、交換が必要かどうかを判断する。熟練者が目視で問題ないと判断しても、決められた利用期間を過ぎると交換する。

 生産技術部の部門長とリーダーとの会議では、まだ使える部品であっても一定の期間が過ぎると交換する理由を知った。これらの消耗部品が劣化して破断すると、生産設備が故障する場合があり、生産ラインを止めてしまうことがあるという。過去にこの理由で生産ラインが止まり大きな損害につながったことがあるそうだ。

 同じ会議で、導入の条件として次の2点を合意した。1つは、カメラで随時撮影した画像を機械学習モデルに与えることで消耗部品の劣化を随時判断し、これまでの熟練者の検査をなくすこと。もう1つは、消耗部品が劣化していなければこれまで決めていた利用期間を過ぎていても利用できるようにすることである。

 Aさんは3種類の消耗部品の劣化を検出する機械学習モデルを作成することにした。新品の消耗部品の画像を様々な角度から1000件撮影し、劣化して交換が必要な部品の画像を2000件以上集めて撮影してモデルに学習させた。カメラの角度や光の当たり具合など、画像の収集に時間がかかった。生産設備bでは、画像だけでは予測精度を十分得られなかったため、振動センサーを付け、その値と画像の両方を基に予測することにした。

 この機械学習モデルの予測精度は、交換が必要であると検出したとき、実際に交換が必要である割合(適合率)と、交換が必要であるときに交換が必要だと検出できる割合(再現率)の調和平均(逆数の平均の逆数)とした。Aさんが学習データの収集を頑張った甲斐もあって、熟練者による検査と同じレベルまで精度を高めることができた。

 改めて生産技術部門との会議で情報提供し、実用化に向けた議論を進めることにした。すると想定していなかったことが分かった。3種類ある生産設備のうち、生産設備aの消耗部品は劣化を判断したタイミングで発注すれば、翌週には納品してもらえるが、残りの設備b、cの消耗部品は1カ月前、3カ月前の発注が必要だという。

 Aさんは部品交換について主に生産設備aを対象に担当者と相談していて、設備b、cも大きな違いはないと考えていた。しかし設備b、cに思わぬ制約が見つかった形だ。

 設備cには別の問題もあった。設備cの消耗部品はサイズが大きいうえに、交換用部品を置いておく場所が限られており、多くの数を置けないことが分かった。これまでは、6カ月で消耗部品を定期交換することが多かった。設備cは4台あるので、1カ月半おきに1台の定期交換をする計算だ。そのため消耗部品は2個あれば欠品することはなかった。機械学習モデルにより交換時期を予測すると、この前提が崩れてストックしておくべき消耗部品の数が変わる。そこで生産設備cの使い方において、消耗部品の平均寿命やばらつきを調べなければならなくなった。

 その後、生産設備b、cの寿命に関してどのくらい前から予測できるようになるかを調べるため、再度データ収集とモデル構築を実施することになった。2カ月前に予測することは難しいだろうが、なるべく早めに予測できたほうがよいということになったからである。ひょっとすると1カ月半前から兆候をつかめるかもしれない――。