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 「製造強国」「自動車強国」「スマートカー強国」「交通強国」「知財強国」などの戦略を打ち出している中国。この国家戦略の一翼を担うのが、自動車産業のCASE(Connected、Autonomous、Shared & Service、Electricの頭文字)革命だ。中国は、電動化シフト、スマートカーの開発、スマートシティーの構築の3つのステップで、モビリティー社会を推進。そこでは既存の自動車メーカーに加え、バイドゥ(百度)、ファーウェイ(華為技術)などの中国IT企業が参入し、激しい競争を繰り広げている。リアルな現場情報に基づいて自動車ビジネスの最前線を描いた『中国のCASE革命』(日本経済新聞出版)の著者が、IT・テック企業が自動車ビジネスでどのような役割を果たしているのかを、同書より抜粋・再構成して解説する。(書籍デジタル編集部)

 新型コロナウイルスの感染拡大は、自動車メーカーの経営を大きく揺るがしており、世界自動車産業の回復には時間を要するだろう。しかし、100年に一度の変革と言われる自動車産業の電動化の波は止まらない。

 Connected (つながる)、Autonomous(自動運転)、Shared & Service(共有)、Electric(電動化)の頭文字をつなげた「CASE」という言葉は、独ダイムラーの元CEO(最高経営責任者)、ディーター・ツェッチェが2016年のパリモーターショーで発表した中長期戦略の中で出たものだが、今や自動車産業を語る際に欠かすことができず、技術革新が自動車産業に起こす地殻変動をCASE革命と呼ぶようになった。

 中国は、従来の内燃機関車に取って代わるEV(電気自動車)で業界のルールを変えると同時に、中国主導の技術を世界に普及させ、CASE革命によって自動車ビジネスの世界覇権を握ろうとしている。

中国のCASE革命の狙いと勝算

中国ファーウェイの自動運転システムの展示
中国ファーウェイの自動運転システムの展示
2020年北京モーターショーにて初出展したファーウェイのスマートカーシステム(撮影:著者)
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 自動車産業が激変期を迎える状況下で、中国政府は、2035年に経済・技術の面でイノベーション型国家の上位に立ち、近代化した国家を実現するとの目標を掲げている。なかでもCASE革命で実現する「自動車強国」とモビリティー社会は、中国政府が宣言した「近代化強国」そのものだ。

 現在「メイド・イン・チャイナ」の家電・IT製品は世界市場を席巻しているが、すでに中国最大の製造業で中国経済の屋台骨でもある自動車産業の世界進出は大きく出遅れている。基幹部品技術のキャッチアップのメドがまったく立っておらず、中国政府は必然的に内燃機関不要のEVの発展に期待せざるを得ない状況だ。しかし、その状況をも逆手に取り、機械工学技術の世界から一歩踏み込み、IT技術の活用及び業界スタンダードづくりによって次世代自動車市場に参入することが中国政府の狙いである。

 中国が次世代自動車技術における優位性を確立できれば、部品産業の技術進歩も期待でき、産業全体の競争力を向上させることができる。そうなれば、電池などの基幹部品を低価格で量産しやすくなることに加え、巨大な国内市場、通信網の整備とスマートフォンの普及、貴金属資源の保有、部品・部材産業集積の存在などの面で日米欧を圧倒する条件が整う。こうした勝算を前提に中国政府は「自動車強国」となる構想を描いている。

 一方で、2035年以降を展望すると、総合的な移動方法としてのモビリティーが大きく変わる可能性がある。クルマに求められる価値が現状から大きく変化し、「CASE」は自動車メーカーの競争力を左右する。ハイテク産業の発展で製造業の強化を図ろうとする中国政府は、インターネット大国としての基盤を活用し、スマートファクトリーの実現に向けた体制整備を急ぐ。

 通信とAI技術を融合する次世代自動車産業の競争力が確実に向上するなか、今後中国企業はさらなる進化を遂げ、車載電池、自動運転、制御システム及びソフトウエアを手掛ける次世代自動車産業のメガサプライヤー、メガスマートカーメーカー、モビリティーサービスを提供するプラットフォーマーが次々と登場することが推測される。

 そうなれば、中国のCASE革命で躍進するテック企業は新興国市場だけでなく、日本を含む先進国市場にも進出し、スマートフォンを介在するモビリティーサービスを投入するだろう。今後一部の日本企業はメーカーからサービスを提供する事業者となり、モノづくりの競争優位を維持してきた日本の自動車産業に変化がもたらされる可能性が高い。

自動車業界に革命を起こす「ソフトウエア定義自動車」

 中国の戦略の背景には、ここ10数年間において進化スピードが飛躍的に早くなったIT・通信関連技術がある。CASEの技術トレンドが自動車業界を襲い、クルマの価値が激変している。なかでもソフトウエアとハードウエアを分離する開発体制の登場はクルマの構造を劇的に変え、大きな技術革新を起こす可能性が高い。

2010年代の前半に、米国のIT企業が提起したSDx(Software-Defined Anything:ソフトウエア定義○○)が注目され、コンピューター、ネットワーク、ストレージを統合するプラットフォームの構築が重要となってきている。従来、当初の仕様に沿ってハードウエアとソフトウエアを一体で開発しており、制御ユニット(ECU)も1モデル単位であったが、ソフトウエアの比重が高まることにより、自動運転ソフト、端末機能のソフトなど複数のECU開発によりクルマを制御することが主流となりつつある。

 ECUが効率的に作動するには、車載システム全体でソフトウエアの整合性が取れている必要がある。特にカメラ、レーダー、LiDARなど車載電子機器を多数使用するスマートカーにおいてはソフトウエアの整合が複雑であり、その開発コストも高額である。しかし各種機能を内蔵した車載プラットフォームがいったん構築されてしまえば、後発組でも既存プレーヤーを凌駕できる可能性が生まれてくる。

 すでに、設計段階からソフトウエアやコミュニケーションシステムが組み込まれ、無線通信によるソフト更新(OTA : Over The Air)が自由にできるEVは、「走るスマホ」としてモノづくりにイノベーションを起こし、ソフトウエア定義自動車(SDV : Software-defined vehicle)という新たなトレンドを生んでいる。

クルマの製造・販売企業から、サービスプロバイダーへの転換

 新型コロナの影響により各自動車メーカーの電動化シフトが遅れているなか、米国のEVメーカー大手、テスラの独走が際立つ。2020年6月10日、世界の自動車産業が歴史的転換点を迎えた。テスラが時価総額でトヨタ自動車を上回り、世界第1位の自動車メーカーとなったのだ。時価総額にのみ羨望のまなざしが送られるようになるのでは、との冷静な見方も少なくないものの、自動車産業が大変革期を迎え、EVメーカーと従来型メーカーへの成長期待の差がこの歴史的な逆転の背景の一側面であるのは確かだろう。

 テスラのEVは、サービスセンターと常につながって不具合を診断するなどしている。自社開発した車載コンピューター「HW3.0」を中核に据えた中央集中型の車載電子基盤は、他の自動車メーカーを6年ほど先行しているとされる。

 テスラのような新興EVメーカーのみならず、モビリティー領域の覇権を狙う米中のIT・通信大手企業も、既存の自動車のバリューチェーンを切り崩し、新しいビジネスモデルを構築しようとしている。

独VWが発表した新型EV「ID.6X」
独VWが発表した新型EV「ID.6X」
2021年上海モーターショー(撮影:著者)
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 スマートフォンの雄である米アップルは自動車メーカーにEV「アップルカー」の委託生産を打診していると報じられた。アップルのスマートフォン生産を請け負っている電子機器の受託製造 (EMS)世界最大手、鴻海精密工業(ホンハイ)はEV生産計画を打ち出し、通信機器最大手のファーウェイも自動運転分野に参入した。

 自動車をめぐる技術の劇的な進化は、ITなど異業種からの参入を促進するだけでなく、これまでの自動車メーカーのビジネスモデルを全く通用しないものとする。特に自動運転の開発競争は激しさを増しており、自動車メーカーはこの分野で差別化や高付加価値化を実現しにくい。したがって今後のビジネスモデルは、クルマの製造・販売からサービスプロバイダーへ変化し、付加価値の追求はハードウエア以外にシフトするしかないだろう。

 自動車業界でソフトウエアの開発競争が熱を帯びているなか、独フォルクスワーゲン(VW)は2019年にグループ横断型のソフトウエア専門組織「Car.Software」を設立し、「vw.OS」と呼ばれる車両オペレーティングシステムの導入を通じて、ソフトウエア企業への転換に取り組んでいる。2020年11月に発表した5年計画では、EVやデジタル化といった次世代技術に730億ユーロを投資し、特にデジタル化への投資額は前回の計画から倍増させ、ソフトウエアの自社開発比率を現在の1割から6割に高める目標を掲げている。

 トヨタ自動車は2020年3月、NTTとの提携発表の場で「ソフトウエア・ファースト」の開発体制に移行することを宣言した。自動運転ソフト子会社のTRI-ADが「Arene(アリーン)」と呼ぶソフト基盤を開発するなど、ソフトとハードの開発を分離する決断から、後発組に対するトヨタの危機感が伺える。抜本的なモノづくりの刷新と組織の変革を行う大手自動車メーカーは、イノベーターとして次世代自動車市場の主導権を握ろうとしている。(続く)

湯進(たん・じん)
みずほ銀行法人推進部 主任研究員
湯進(たん・じん) 2008年みずほ銀行入行。自動車・エレクトロニクス産業を中心とした中国の産業経済についての調査業務を経て、中国自動車メーカーや当局とのネットワークを活用した日系自動車関連の中国事業を支援。現場主義を掲げる産業エコノミストとして中国自動車産業の生の情報を継続的に発信。みずほ銀行法人推進部 主任研究員、専修大学社会科学研究所客員研究員、上海工程技術大学客員教授。主な著書に『中国のCASE革命 2035年のモビリティ未来図』(日本経済新聞出版、 2021年)、『2030 中国自動車強国への戦略 世界を席巻するメガEVメーカーの誕生』(日本経済新聞出版社、 2019年)がある。(本論考はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)
中国のCASE革命 2035年のモビリティ未来図
著者●湯進/定価●2200円(税込み)/発行●日本経済新聞出版/判型●四六判256ページ/ISBN 978-4-532-32404-9
著者●湯進/定価●2200円(税込み)/発行●日本経済新聞出版/判型●四六判256ページ/ISBN 978-4-532-32404-9

中国は、2035年に近代化国家の形成をめざし、スマートカーの発展、スマート交通の実現、スマートシティーの構築など、3つのステージに分けて国家戦略を推進しています。本書は中国版のCASEやMaaS(Mobility as a Service)を軸とし、5Gとニューインフラ、スマートファクトリーとAIの推進など、さまざまな角度から中国のモビリティー革命を描き、日系企業の対応を議論します。筆者の前著『2030 中国自動車強国への戦略』はアナリストや研究者も立ち入りにくい中国自動車産業の現場情報を盛り込むことで高く評価されています。日中の自動車メーカー、サプライヤー、電池・材料メーカー等、直近3年間で約300社にのぼる訪問を重ねてきた中国自動車界を知り抜いた著者による情報満載の本です。