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巨大IT企業が参入する自動車産業の未来を読み解く最終回。電気自動車(EV)のプラットフォームは「群雄割拠」の時代に入った。それに伴い、「開発」と「製造」の分離が本格化するとみる向きがある一方で、既存の完成車メーカーは極めて懐疑的だ。そんないまの自動車産業の姿は、かつての電機産業に重なってみえる。2021年8月19日発売の書籍『Apple Car デジタル覇者vs自動車巨人』から一部を抜粋して紹介する。(技術メディアユニットクロスメディア編集部)

 半導体業界で「開発」と「製造」の分業が広がり始めたのは1980年代末ごろからのことだった。しかし日本の半導体メーカーはこれを嫌い、開発と製造を統合した事業形態に最近まで固執し続けた。「これが日本半導体産業の衰退の一因、私はそう考えている」と、日経エレクトロニクス元編集長の西村吉雄氏は指摘する。ではなぜ、半導体産業では、開発と製造の分業が始まったのだろうか。そして、日本の半導体業界はなぜ分業を嫌ったのだろうか。

 半導体の世界で開発と製造の分業が進んだ背景を、西村氏は「出版」と「印刷」のアナロジーで解き明かしている。出版社の役割は「読者が何を読みたがっているか」を探り当て、コンテンツを作成することだ。このプロセスに大規模な設備は要らない。逆に印刷業は装置産業であり、最大のコストは印刷機の償却費用である。従って、印刷会社は「いかに稼働率を上げるか」が最大のテーマとなる。

 このアナロジーから分かるように「多様なユーザーニーズにきめ細かく対応する」ことが求められる開発の業務と、「なるべく同じ製品を大量に生産する」ことを志向する製造の業務はもともと相容れない。西村氏が最初にこのことに気づいたのは学会だったという。同じ半導体技術者でも、開発の技術者と、製造の技術者では、あまりにも興味の方向が違いすぎることから、両者を分離するのが合理的なのでは、と考えるようになったというのだ。

 半導体の世界では、技術の高度化(製造プロセスの微細化)に伴って、半導体製造設備への投資はどんどん膨れ上がっている。当然、それだけの設備を自社開発の半導体だけで埋められるメーカーは限られる。米インテル(Intel)や韓国サムスン電子(Samsung Electronics)のような企業ではそれが可能でも、ほとんどのメーカーでは設備への投資・維持が難しくなってきた。これが半導体業界での開発と製造の分離が進んだ背景にある。

なぜ日本では分業が進まなかったのか

 1980年代の後半になると、半導体における開発と製造の分業は、世界的に大きな潮流となった。それでも、日本の半導体メーカーは、開発と製造の分業を嫌い続けた。何人かの半導体メーカーの幹部は、私的な席で西村氏にこう語ったという。「理屈ではあなたの言う通りだと思うよ。でもウチの会社じゃ無理だね」。

 なぜ日本では半導体の開発・製造分離が進まなかったのか。その理由の1つに、当初のファウンドリーは研究開発に投資するほどの利幅を確保できず、製造技術面で統合メーカー(半導体の開発から製造まで一貫して手がけるメーカー)に比べて一段低いとみなされていたことがある。実際、当時のファウンドリーは最先端デバイスの製造ができず、少し遅れた製品を他社ブランドで安く製造する存在だった。少なくとも、日本の半導体メーカーはファウンドリーをそう見下していた。「見下される存在になりたくないという意識が、日本の半導体メーカーにはあったのだろう」と西村氏は推測する。

 ところが、次第にファウンドリーの製造技術が統合メーカーの製造技術を凌駕するようになっていく。その理由の1つは、半導体製造装置メーカーとファウンドリーが連携を強めたことだ。ファウンドリーの方が設備の稼働率が高いため装置の償却が早く、従って装置の更新が早い。ファウンドリーの設備の方が新しくなったのである。

 さらに、製造装置メーカーが新装置の開発にファウンドリーの工場を利用するようになった。というのは、半導体の統合メーカーの場合、自社ラインを装置メーカーに貸して装置開発に協力したとしても、そこで得られた情報が装置メーカーを通して他の統合メーカーに伝わることを嫌ったからだ。

 半導体は微細化するほど、電子の移動距離が短くなるので、計算が速くなる。逆にいえば同じ内容の計算なら電子の移動距離が短くなる分、消費電力を低減できる。米アップル(Apple)は「M1」チップを搭載した「マックブックエア(MacBookAir)」が、最新のウィンドウズ(Windows)パソコンのピークパワーを1/4の消費電力で発揮できると主張している。先に触れたようにアップルのM1チップは台湾の台湾積体電路製造(TSMC)が製造しており、製造装置メーカーとの関係の深さが技術力の差になってきている可能性が高い。インテルがファウンドリー事業に乗り出すと表明したのも、そういった背景があってのことだろう。