現実空間とは別の「もう一つの世界」、メタバース。「単なるバズワード」と、その可能性に目を背けてしまうのは得策ではない。新たな世界でどんなビジネスチャンスが生まれるのか。本連載では、新刊『メタバース未来戦略 現実と仮想世界が融け合うビジネスの羅針盤』(日経BP)より、来たるべくメタバース時代に向けた多角的な視座を与えてくれる6人のキーパーソンインタビューをお届けする。(日経クロストレンド編集部)
2000年代に世界的な注目を集めた「Second Life(セカンドライフ)」。「早すぎた」「失敗した」といった評価が目立つ一方で、22年現在でもサービスは継続されている。かつてのブームと現在のメタバースは何が共通しているのか、あるいは何が異なるのか。当時を詳しく知る杉山知之氏(デジタルハリウッド大学学長)と、渡邊信彦氏(Psychic VR Lab取締役COO)の対談をお届けする。(聞き手はyunoLv3、久保田 瞬)
デジタルハリウッド大学 学長/工学博士

Psychic VR Lab 取締役COO

初めてメタバースに入って、みんなであたふたしていたのがセカンドライフ
杉山知之氏(以下、杉山) でも、当時セカンドライフがはやらなかった原因でもある「その環境を楽しめるパソコンを持っている人が少なかった」というのは、未解決の問題としてあると思いますね。メタバースで活動するアーティストは、それを見に来る人が増えれば成り立つけれど、当時はそういう人が増えなかった。街は広大なんだけど、歩いていて寂しいというね。
現在は、セカンドライフの当時とはデバイスの性能も、普及しているコンテンツの種類も大きく異なりますね。
杉山 セカンドライフが流行した当時、ほとんどの人にとって「自分のアバターを作る」ことは初めての体験でした。本来の姿ではない自分になるとか、いつもと違う服を着てみるといったことが、すごく新鮮だったんです。
渡邊信彦氏(以下、渡邊) ソーシャルVR(仮想現実)サービスの「VRChat(VRチャット)」が出てきた今だと、VRデバイスを用いて没入し、アバターとして会話をするコミュニティーがベースにあると思うので、出発の思想はちょっと違うかもしれませんね。当時のセカンドライフは、動画サイトで例えるとYouTubeよりニコニコ動画の雰囲気に近くて、「そこで儲(もう)かっている」ことがあまり格好よく思われなかった感覚があります。
一方で今NFT(非代替性トークン)は、NFTアートの「Bored Ape」のアイコンを付けていたら「格好いいね君!」と言われるなど、コミュニティーとセットで機能している面がある。そうしたファッション性やブランディング、文化的な面はセカンドライフの頃とは大きく異なると思います。
杉山 著作権についてもみんな素人でしたね。街が出来上がったときにスナップショットの撮影をすると、写り込んでしまった人から抗議が来たものの、「街だから写り込んでもしょうがないよね?」となったり……。そのためのルールすらない時代でした。初めてメタバースに入って、みんなであたふたしていたのがセカンドライフの時代です。
あと、夜な夜な人が集まるスナックもありましたね。仕事から帰ってきて夜中に皆で集まり、朝まで入り浸っているような。そういう「眠れない文化」でもありました。
当時のセカンドライフは、現実の自分や社会と地続きにあったものですか。それとも、匿名になって生まれ変われるような場所だったのでしょうか。
杉山 双方がごちゃまぜでした。ただ、本名を明らかにしている人のほうが少なかったはずです。とはいえ、みんなセカンドライフの中では超格好いい住宅に住んでいましたね。現実はともかく、ハイライフなんですよ。
渡邊 グラフィックも良かったですね。写真撮影する際のぼかしや、ムービーを撮影する際の照明の仕組みとかも全部販売されていたので、買ってしまえば映画なども簡単に作れました。使い勝手も良くて、VR/AR(拡張現実)/MR(複合現実)クリエーティブプラットフォームの「STYLY(スタイリー)」を立ち上げた際にセカンドライフでハッカソンを開催して、開発の参考にしてもらったほどです。