我々の暮らしをささえる道路やトンネル、ダムといったインフラ、さらには家やビルなどの建造・整備に関わる建設業。その現場は自然環境下での作業になることなどから危険を伴い、全産業の中で死亡災害が最も多く発生している。今後の生産人口の減少を受け、これからの建設業をささえる人材の確保が課題となっている中、建設現場で働く人たちの安全と健康、幸せを約束できなければ、担い手が集まってこない恐れがある――。
こうした状況を打破するために、『建設協調安全 実践!死亡事故ゼロ実現の新手法』では、従来と異なる新たな安全への取り組みを解説した。本書から、「協調安全/Safety 2.0」と呼ぶ、新しい安全の概念/技術を提唱する明治大学 名誉教授、顧問の向殿政男氏と、建設現場の第一線で重篤災害の撲滅を声高に叫び続けてきた清水建設 土木総本部 顧問の河田孝志氏の対談を紹介する。(技術プロダクツユニットクロスメディア編集部)
河田さんは建設現場の第一線に立ち、重篤災害の撲滅に尽力されてきました。何かきっかけのようなものがあったのでしょうか。
河田孝志氏 私は、トンネル工事現場のキャリアが長い。トンネル工事現場というのは、他の建設現場と比べても危険で、重篤災害が起こりやすい工種です。私はこれまでに国内8カ所、海外2カ所のトンネル工事を担当してきましたが、20歳代後半の時に死亡事故を経験しました。
トンネル外の作業で、工事用道路で除雪作業をさせていた時のこと。作業中のバックホウが幅2mほどの用水溝に向かって転倒してしまいました。出入り口の扉は用水溝側にあったため、オペレーターはそこから出られずに、反対のアーム側の窓(現在流通するバックホウにはありませんが)から脱出を試みました。その際、オペレーターの足が操作レバーに当たり、動いたアームと窓枠の間に挟まれてしまったのです。
私が、その一報を受けて現場に急行した時には、オペレーターは既に瀕死(ひんし)の状態。「何とか助かってくれ!」と祈りながら見守ることしかできませんでした。その後、現場に駆け付けたレスキュー隊に救助されたものの、祈りむなしく搬送先の病院で亡くなりました。29歳の方でした。
この人には、私の長男と同い年になる3歳のお子さんがいました。葬儀に参列した時、そのお子さんが会場の中を元気に走り回っていたのです。お父さんが亡くなったことをまだ理解できずに……。我々にも作業をする人たちにも、家族がいます。ひとたび死亡災害が起きると、家族は大変な悲しみを背負います。死亡災害は絶対に起こしてはならない――。この時に痛感し、以降肝に銘じ続けています。
建設業では、死亡災害が下げ止まり傾向にあると聞きます。
河田氏 1970年に全産業の死亡災害は6048人ありましたが、2011年には1024人まで減りました。建設業も、1970年は2430人、2011年は342人と、死亡災害が減ってきたことに間違いはありません。しかし、2011年以降は下げ止まっています(図1)。