累計22万部のベストセラー「アフターデジタル」シリーズで知られるビービットの藤井保文氏の新著『ジャーニーシフト デジタル社会を生き抜く前提条件』(日経BP)。新著は「アフターデジタル」を提唱後に新たに登場したキーワード、例えば「パーパス」「SDGs」「Web3」「メタバース」などを取り込み、新たなデジタル社会の世界観「ジャーニーシフト」を示している。本記事では新著の前半で紹介されており、同書の執筆のきっかけにもなった東南アジアにおけるスマホアプリの進化について話した講演を再録する。(2022年10月にオンライン開催した日経クロステック EXPO 2022での藤井氏の講演「アフターデジタルのその先へ:社会課題ドリブンのデジタルイノベーションが始まる」を再構成、技術プロダクツユニットクロスメディア編集部)
ビービットの藤井保文氏は講演の冒頭、経済産業省が2022年5月に発表した報告書「未来人材ビジョン」に記載された「日本企業の部長の年収は、タイの部長よりも低い」というセンセーショナルな話題を紹介した。講演スライドでは同報告書に掲載された図を引用し、年収が低いだけではなく、部長職に昇進する平均年齢も日本の「44.0歳」に対してタイは「32.0歳」と若いことを指摘。こうしたデータから、「日本はアジア各国の後じんを拝する状況だ」と藤井氏は話す。
東南アジアで今、起きていること
東南アジアで一体何が起こっているのか。藤井氏はそれを示す事例の1つとして、東南アジア全体でブームを巻き起こしているスーパーアプリの動向について解説した。
スーパーアプリとは、フードデリバリーやタクシー手配、決済といった日常生活のあらゆるシーンで活用できるさまざまなアプリを1つのプラットフォームにまとめた総合型アプリのこと。アジア圏で有名なのはEC(電子商取引)サイトの決済アプリからスタートした「Alipay(アリペイ)」やチャットアプリからスタートした「WeChat(ウィーチャット)」がある。どちらも中国企業のアプリで、日本のQR決済アプリ「PayPay(ペイペイ)」などもスーパーアプリを目指していると言われる。
インドネシアで広く使われるアプリ「Gojek(ゴジェック)」もスーパーアプリの1つである。もともと、米国発の「Uber(ウーバー)」のようなタクシーやバイクなどのライドシェアのサービスとしてスタートし、今はフードデリバリーやペイメントなど幅広い領域にサービス展開する。中には、マッサージ師やメーキャップアーティスト、家政婦などを自宅に呼ぶといった、日本人からすると少々面白く聞こえるサービスもある。
Gojekがユニークな点は提供するサービスすべてが「バイクタクシーのドライバーにさまざまなサービスの依頼をする」という仕組みで成り立っていること。AlipayやPayPayなど通常のスーパーアプリでは、サービスごとに提供元の事業者が異なるが、Gojekの各種サービスはバイクタクシーのサービスに付随する追加カテゴリーのような位置づけで運営されている。バイクタクシーのドライバーが、代わりに買い物をしてきてくれたり、マッサージ師やメーキャップアーティストを連れてきてくれたりするのだ。
背景にあるのはインドネシア都市部のひどい交通渋滞だと藤井氏は解説する。「ちょっと遠くに行くことの負荷が圧倒的に高い」(藤井氏)のだ。ジャカルタなどの都市部では深刻な渋滞のために、徒歩30分程度の場所にクルマで行こうとすると1時間かかってしまうという。
クルマでの移動は困難だが、バイクであれば渋滞をすり抜けて移動時間を大幅に短縮できる。そのためインドネシアの人々の日常生活にはバイクが溶け込んでいる。バイクを持っている人に「ちょっと、これ買ってきて」とお使いを頼んだり、後部座席に乗せてもらって外出したりといったことがよくあるという。それをアプリ化したのがGojekなのだ。EC(電子商取引)サイトや決済サービスを起点にして、ビジネス的な利点を求めてサービスを多角化したAlipayなどとは生い立ちが大きく異なるのである。
QR決済アプリでは、参入企業が急増して乱立してしまった結果、「A店ではXアプリだけ対応する」「B店ではZアプリが使えない」など、ユーザーにとって少々不便な状況が起こっている。インドネシアでもそのせいで普及に時間がかかっているようだ。インドネシアでGojekが急速に広まり、広く支持されているのは、同国の社会問題に根差し、生活習慣を大きく変えずにアップデートして便利にするようなサービスだったからだ、と藤井氏は考察する。