みんなの銀行の基幹システムは、クラウド上にフルスクラッチ開発されている。その開発はどのように進んだのか。『イノベーションのジレンマからの脱出 日本初のデジタルバンク「みんなの銀行」誕生の軌跡に学ぶ』(日経BP、2023年)から抜粋し、SIerとして開発に参画したアクセンチュアの山根圭輔氏と経緯を振り返る連載の第3回。聞き手はみんなの銀行 執行役員CIO(最高情報責任者)の宮本昌明氏。(技術プロダクツユニットクロスメディア編集部、本文中敬称略)
みんなの銀行 宮本昌明(以下、宮本) そもそも銀行を立ち上げるかどうかが確定したのは(2019年の)5月、ゼロバンク・デザインファクトリーが設立されたときですね。
進める前に整理期間を2~3週間、その判断がよかった
アクセンチュア 山根氏(以下、山根) そうです。それまではふくおかフィナンシャルグループさん内部でもプロジェクトの方向性について侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がなされている真っただ中であり、プロジェクトのことを外部に公表できず、外部に確認したいこともプロジェクトのことは伏せながらになりましたので、なかなか物事が決められないつらい時期でした。
この山をなんとか越えてようやくMVP(Minimum Viable Product)1を始められたのですが、最初の開発フェーズであるMVP 1のスプリント1で、すぐに壁にぶつかります。スプリントレビューの結果、このままでは設計も不足しているし設計思想もよろしくない、と判断しました。トランザクションやテーブル設計などを大きく見直すべきだと。そこでスプリント2に進める前に整理期間を2~3週間設けようという話になりました。
このような進め方は普通にウオーターフォール型の請け負い開発であれば絶対にあり得ませんよね。
そのため取りあえず動くところまで作ってリリースしてしまうようなことをやってしまいがちな状況でしたが、それでは絶対に禍根を残すと思ったので、整理期間を設けたのです。後になって考えると、この止める判断が非常に重要なポイントでした。
宮本 しかしその段階で設計を変えたら3月のPoC(概念実証)はどうなるのだろうという話にはなりませんでしたか?
山根 ベースを作り替えるわけではなく、スプリント1で作ったアプリの置き方などを作り直そう、設計書や各種ドキュメントなどを書き直そう、と。しかし、アジャイルでありながら設計書を、誰がどこまで書くのかという課題は、その後もMVP2、3くらいまで議論を重ねながらブラッシュアップをしていったと思います。
宮本 アジャイルでは「誰が(設計書を)書くのか問題」がいまだに命題ですよね。
山根 教科書のように決まった一つの方法はなくて、規模や内容によっても、あるいは人によっても変わります。それでもきっちりと書く方向に徐々に落ち着いていった気はします。
宮本 設計書や日本語のドキュメントを書けば書くほどスピードが落ちますし、そもそもエンジニアは意外とドキュメント能力がなかったり、ドキュメント作成が苦手であったりします。
アジャイルだから早くリリースしたいという思惑もあります。それでも銀行ですから、設計書にトレーサビリティーやアカウンタビリティーを備えながら開発しなくてはなりません。その折り合いを付けるために、今でも葛藤しています。
山根 アジャイルだからドキュメントは少なくてもいいとか、エンジニアはドキュメント書くのが苦手だというのは日本の特性のようです。リモート(ワーク)や多国籍で様々な人種が共に働く海外では、思いの外ドキュメントを書きますし、書くことも上手ですね。