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 日本を代表する建築家、故・丹下健三が設計したフジテレビ社屋の足元に、東京五輪・パラリンピックのトライアスロン競技会場が設置された。スタートとフィニッシュの場となるお台場海浜公園では、東京五輪のマラソンスイミングも行った。

お台場海浜公園に設置された東京五輪・パラリンピックのトライアスロンの競技会場をレインボーブリッジから望む。お台場のランドマークといえるフジテレビ社屋が見える(写真:山嵜 一也)
お台場海浜公園に設置された東京五輪・パラリンピックのトライアスロンの競技会場をレインボーブリッジから望む。お台場のランドマークといえるフジテレビ社屋が見える(写真:山嵜 一也)
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 無観客開催となったため、人々がこの競技会場を目視できる場所はレインボーブリッジの橋上のみ。トライアスロンでは、スイム1.5㎞、バイク40㎞、ラン10㎞の周回コースを設け、お台場海浜公園に観客席(5500人収容可能)と、乗り換えや着替えのためのトランジションスペースを備える仮設競技会場を建てた。

トライアスロン競技会場を北西側から見る。選手らが東京湾でスイムした後、お台場の街をバイクとランで周回するコース設定としている(写真:山嵜 一也)
トライアスロン競技会場を北西側から見る。選手らが東京湾でスイムした後、お台場の街をバイクとランで周回するコース設定としている(写真:山嵜 一也)
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 会場の背景には、レインボーブリッジなど湾岸地区が広がる。選手らは東京湾でスイムを行った後、バイクやランでお台場の街に飛び出す。バイクではお台場の観光名所でもあるガンダムの足元を走り抜けた。連載2回目でも紹介したように、ガンダムという日本アニメのアイコンはスポーツクライミング競技でも借景となり、海外視聴者に東京のランドマークとして強く印象付けられただろう。

お台場海浜公園に設置されたトライアスロン会場。選手らはレインボーブリッジを背に、バイクとランでここからお台場の街へと出ていく(写真:山嵜 一也)
お台場海浜公園に設置されたトライアスロン会場。選手らはレインボーブリッジを背に、バイクとランでここからお台場の街へと出ていく(写真:山嵜 一也)
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お台場海浜公園のトライアスロン会場。バイクとランで選手らはここからフジテレビ社屋を正面に見ながら海浜公園に戻り、周回する(写真:山嵜 一也)
お台場海浜公園のトライアスロン会場。バイクとランで選手らはここからフジテレビ社屋を正面に見ながら海浜公園に戻り、周回する(写真:山嵜 一也)
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 トライアスロン競技会場は他の仮設競技会場と同様に、大会が終わると撤去される。本連載のテーマとしている仮設競技会場の活用は、開催都市にとって競技会場がホワイトエレファント(負の遺産)となることを避けるよう、国際オリンピック委員会(IOC)が求めるものでもある。

 五輪招致の際に立てる競技会場計画では、第1に既存施設の利用、第2に仮設競技会場の採用を検討し、その次に恒久施設の新設を目指す。その優先順位に従うことは、持続可能な大会開催を目指すことになり、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)とも合致する。

 しかし、それ故の難しさもある。招致活動から五輪開催まで10年スパンの計画とその実現という明確なゴールと並行して、30年、あるいは50年に及ぶレガシーを考慮した都市計画も進めなければならない。2つの異なるタイムスケールの計画を同時に進める実行能力、複雑に絡み合う責任の所在を明確にできる、横断的な組織運営が求められる。

 加えて事態を複雑にしたのは、招致レースを勝ち抜く要素が加味される点だ。東京五輪においても、当初の2016年招致計画案ではメインスタジアムが湾岸地区にあった。しかし、ブラジルのリオデジャネイロに負けると、20年案として再立候補するために作り直した招致案で、東京・晴海の敷地に選手村を計画。玉突きのようにして、メインスタジアムを設置するため、1964年東京五輪のレガシーだった旧国立競技場は取り壊されてしまった。

選手村をレインボーブリッジから望む。2016年招致案ではこの場所にメインスタジアムを計画していた(写真:山嵜 一也)
選手村をレインボーブリッジから望む。2016年招致案ではこの場所にメインスタジアムを計画していた(写真:山嵜 一也)
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東京・晴海にある選手村の敷地。東京五輪の招致成功直後、2013年9月に撮影した(写真:山嵜 一也)
東京・晴海にある選手村の敷地。東京五輪の招致成功直後、2013年9月に撮影した(写真:山嵜 一也)
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