イジングマシンとは何だろうか。実は、その本質は“計算機”ではなく、問題の解き方も含めて、多数のサイコロを同時に振ってその結果を見る“占い装置”に近い。ただし、もちろんただのサイコロではなく、「スピン」と呼ばれる種も仕掛けもあるサイコロである。この特殊なサイコロの仕組みと、それを使った組合せ最適化問題の解き方の基本、そして、現状で利用できるイジングマシンを紹介する。
イジングマシンの基になっている「イジング(Ising)モデル」は、磁性体材料中の電子スピンの動きをある程度単純化(モデル化)して材料のふるまいを議論するためにドイツ出身の研究者Ernst Ising氏†らが提唱した物理学上のモデルである。
ただ、比較的早い時期にそれが組合せ最適化問題を解く上でも有用であることが知られるようになり、それを古典物理学の範囲で再現したアルゴリズム「シミュレーテッドアニーリング(焼きなまし法、SA)」というソルバー(解法)が1983年に開発された。SAを動作させる“計算機”全般が、イジングマシンとも呼ばれる(表1)。
開発元 | D-Wave Systems | 富士通 | 日立製作所 | 東芝 | NEC | フィックスターズ | ||
マシン名 | Advantage | デジタルアニーラ(DA) | CMOSアニーリング(CA) | シミュレーテッド分岐マシン(SBM) | なし | 超電導量子アニーリングマシン | Amplify AE | |
プロセッサー | 専用IC | 専用IC+汎用機 | 専用IC、FPGA | GPU | FPGA、GPU | 汎用ベクトルプロセッサー |
専用IC (開発中) |
GPU |
求解方式 | QA | 一部並列化したSA | SA | MA | SB | 独自SA*2 | QA | 並列化したSA |
最大ビット数 |
約5000 (ハイブリッドモードでは100万) |
8192 (ハイブリッドモードでは約100万*1) |
14.4万 | 10万 | 100万以上 | 10万*3 | 4 | 10万以上 |
パラメーターの階調 |
アナログ (5ビット程度) |
64ビット | 3ビット | 2~32ビット | 未公表 | 未定 | 32または64ビット | |
スピン間結合 |
疎結合 (キメラ、ペガサス) |
全結合(100万ビットの場合を含む) |
疎結合 (キング) |
全結合 | 全結合 | 全結合 |
疎結合 (埋め込みで全結合化) |
全結合 (6万5536ビット) |
*2 制約を考慮したシミュレーテッドアニーリング
*3 複数マシンを連携して大規模化させる技術も開発中
MA:モーメンタムアニーリング QA:量子アニーリング SA:シミュレーテッドアニーリング
現在はその“量子力学版”もある。1998年に東京工業大学の大学院生(現在はデンソー)だった門脇正史氏と教授の西森秀稔氏が、SAより高速で高精度の解を期待できる「横磁場イジングモデルの量子アニーリング」という手法を提唱した。するとその翌年にその実用化を目指すベンチャーであるカナダD-Wave Systemsが創業し、2011年にその量子アニーリング(QA)マシンを発売した(詳細は後述)。
その後、米MicrosoftがD-Waveの後を追って小規模なQAマシンを開発。一方、富士通、日立製作所などはSAを専用回路に実装して求解の高速化を目指したイジングマシンを開発してQAマシンに対抗。NTTなどは光の量子的なふるまいを期待したマシン、東芝もSAを独自に改良したマシンを開発した。最近は、MicrosoftがSAを同社のクラウドコンピューターである「Azure」に独自に実装した。東京工業大学や産業技術総合研究所、さらには門脇氏擁するデンソーなども参戦し、イジングマシンの種類が急速に増えている。
計算とは別の原理で求解
イジングモデルの特徴は、原理上いわゆる計算をまったくせず、一種のアナログな物理学実験によって解が求まってしまう点だ(図1)。
イジングモデルは、微小な棒磁石ともいえるスピンを格子状に並べたモデルで、外部磁場hiとスピン間の相互作用の強さJijを決めた後、“系の温度”に相当するパラメーターの値を次第に下げていくと、その条件でのスピンの総エネルギーが最も低い「基底状態」に自然に収まると考えられている注1)。
このモデルは、ちょうど「NP完全」と呼ばれるタイプの組合せ最適化問題とほぼ等価であることが分かっている。このため、解きたい組合せ最適化問題をまずイジングモデル上のhiやJijの選択に変換し、その解を組合せ最適化問題に再変換すれば多くの場合、所望の解が得られるのである。
偽の解に捕まりやすい
ただし、落とし穴がある。このエネルギーに相当する量は、各スピンの向きを変えるにつれて大きく変わる。イジングマシンの場合、本当の基底状態ではなく局所解と呼ばれる偽の基底状態に状態が収まってしまう可能性を排除できない(図2)。
ここまではQAでもSAでも同じだ。両者の違いは、D-WaveのQAが疑似スピンとして超伝導量子干渉計(SQUID)を用いた量子ビットであるのに対して、SAでは電子回路でスピンの動きを模している点。SAには原則、エネルギーの凹凸の曲線(ポテンシャルの壁)を通り抜ける「トンネリング」がない一方で、QAではそれが起こっているとも考えられている。