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 昨今の急速な電気自動車(EV)シフトによって、日本のEVベンチャーが再び脚光を浴びつつある。だが、先駆者である米Tesla(テスラ)の戦略とは異なる個性をアピールする企業が少なくない。果たして日本のEVベンチャーは世界に羽ばたけるのか。日本のEVベンチャーの歴史を振り返り、成功するための鍵を探った。

 日本で本格的なEVの販売が始まったのは、今から12年ほど前の2009年のことだ。三菱自動車の「i-MiEV」を皮切りに、10年には日産自動車の「リーフ」が発売された。ここがまさに起点となり、EVに対する人々の興味は、当時非常に高いものとなっていった。その流れの中で次々に市場へと登場してきたのがEVベンチャーだ。

 今では世界トップのEVメーカーに成長したテスラも、03年に創業したEVベンチャーの1つ。最初のプロトタイプとなるEVを発表したのは06年のことだ。同プロトタイプEVは、英Lotus Cars(ロータス)のスポーツカー「ロータス・エリーゼ」をベースにした2人乗りのオープンカーだった。さらにテスラは10年、パナソニックやトヨタ自動車との提携を発表し躍進。同年、日本市場に同社のEVの導入も果たした。まさに、i-MiEVやリーフといったEVが話題を集めていた頃だ。

 日本におけるEVベンチャーの芽生えもテスラと同様の2000年代前半からだ。だが、テスラのように急成長を遂げることができず、世界的に躍進することはなかった。

 例えば、玩具メーカーのタカラ(現タカラトミー)は02年、レース活動やチューニングビジネスを展開していたコックス(COX、神奈川県中井町)と共同で、超小型EV「Q-CAR Qi」を開発し発売した。1人乗りの原付き自転車(4輪)で約130万円という、やや高い価格であったものの、初期の販売は順調だった。しかし、わずか3年ほどで販売は低迷。あっけなくビジネスから撤退することになった。もの珍しさから話題を集めたが、“100万円を超える1人乗りの原付き乗用車”に大きなニーズがなかったのだろう。

 03年には、慶応義塾大学の電気自動車研究室で学生が中心になって作り上げた8輪EVのコンセプト「Eliica(エリーカ)」が登場した。ホイール内にモーターを備えるインホイールモーターを採用したEVで、最高速度370㎞/hを誇った。08年の発売を目指していたが、現実に至らなかった。大学内の研究室から量産車を生み出すのは難しかったと考えられる。

電気自動車(EV)のコンセプト「Eliica(エリーカ)」は8輪のタイプで、ホイール内にモーターを備えるインホイールモーターを採用していた(撮影:鈴木ケンイチ)
電気自動車(EV)のコンセプト「Eliica(エリーカ)」は8輪のタイプで、ホイール内にモーターを備えるインホイールモーターを採用していた(撮影:鈴木ケンイチ)
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 しかし、同研究室を率いていた清水浩教授(現在は名誉教授)は、09年に驚く動きを見せた。慶応義塾大学発のベンチャー企業として、電気自動車の普及を目指す「シムドライブ」を設立したのだ。シムドライブには、ベネッセコーポレーション、ガリバーインターナショナル(現IDOM)、ナノオプトニクス・エナジー(現ユニモ、鳥取県米子市)、丸紅などといった大手企業らが出資した。

 ただ、同社は量産車を開発・生産・販売するのではなく、EVの普及が目的だった。つまり、EVやEV用部品のサプライヤーに技術を提供するというスタイルをとったのだ。そして10年から14年にかけて4つの先行開発車事業を実施。毎回、数十もの企業が参加して4台の先行開発車を完成させている。量産型のEVを生み出すことはなかったが、参加企業にとってはEV開発に携われる、またとない好機となったようだ。なお、残念ながらシムドライブは17年に会社を解散した。

 EVの開発に注力したのは、これらの大きな企業だけではない。事業の拡大を狙い、さまざまな企業がEV開発に挑戦していた。特に元気だったのが地方だ。