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 電気自動車(EV)シフトが加速している。2022年1月5日から7日まで、米国で開催された世界最大のテクノロジー見本市「CES 2022」では、世界の大手自動車メーカーがこぞってEVを展示。さらに、ソニーがEVビジネス参入について本格的に検討していることを明かすなど、異業種の動きも活発になってきた。

 日本の自動車メーカーも着々とEVシフトを進めている。22年1月14日から16日まで開催されたカスタムカー関連の展示会「東京オートサロン2022」では、三菱自動車が軽自動車のEVコンセプトカーを展示。SUBARU(スバル)はEVスポーツカーのコンセプトモデルを公開した。

 大手自動車メーカーだけでなく、異業種からの参入など、競争が激しくなってきたEV業界。もはや日本のEVベンチャーは米Tesla(テスラ)のような新興メーカーとして輝くことはできないのだろうか。日本におけるEVベンチャーの第一人者、「モンスター田嶋」こと田嶋伸博氏に話を聞いた。彼は日本のEVベンチャーを語る上で欠かせない重要人物の一人だ。

2つの顔を持つ“モンスター”

 まずは簡単に、田嶋氏の経歴を振り返っておこう。

 田嶋氏は、2つの顔を持っている。1つはレーシングドライバーという顔だ。1970年代から国内外で活躍するベテランの一人。国内では90年代から2000年代にかけて「全日本ダートトライアル選手権」において9回の年間チャンピオンに輝いている。

 海外でも活躍している。国際自動車連盟(FIA)「アジアパシフィックラリー選手権」では5回もチャンピオンとなったほか、米国のレース「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」では95年のアジア人初の総合優勝を始め、06年から11年まで6連覇を果たした。

レーシングドライバーとして活躍する田嶋伸博氏は、身長180cmを超える偉丈夫で、1950年生まれ。70歳超とは思えぬ快活な人だ。「モンスター」のニックネームは、1979年に参戦したオーストラリアの「サザンクロスラリー」において現地メディアに「日本からモンスタードライバーがやってきた!」と書きたてられたのが由来というが、その世代として日本人離れした立派な体格も理由ではなかったのかと思わせる迫力がある(出所:タジマモーターコーポレーション)
レーシングドライバーとして活躍する田嶋伸博氏は、身長180cmを超える偉丈夫で、1950年生まれ。70歳超とは思えぬ快活な人だ。「モンスター」のニックネームは、1979年に参戦したオーストラリアの「サザンクロスラリー」において現地メディアに「日本からモンスタードライバーがやってきた!」と書きたてられたのが由来というが、その世代として日本人離れした立派な体格も理由ではなかったのかと思わせる迫力がある(出所:タジマモーターコーポレーション)
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 80年代からはスズキの4輪スポーツ活動を担当。ワークスチームとして活躍した。ラリー関連では、同社の07年から08年の「世界ラリー選手権(WRC)」への参戦にも携わった。

 ちなみに、田嶋氏の「モンスター」というニックネームは、79年に参戦したオーストラリアの「サザンクロスラリー」において現地メディアに「日本からモンスタードライバーがやってきた!」と書きたてられたのが由来だという。

 田嶋氏のもう1つの顔は、すご腕のビジネスマンである。83年にモンスターインターナショナル(現タジマモーターコーポレーション、東京都中野区)を設立。直営の店舗を立ち上げて、90年以降はスズキやPeugeot(プジョー)、Citroen(シトロエン)といったブランドのクルマを扱う販売ディーラーを展開。現在は、スズキ、プジョー、シトロエン、Porsche(ポルシェ)、Lamborghini(ランボルギーニ)、Aston Martin(アストンマーティン)などの正規販売ディーラーを全国に11店、直営のモンスタープロショップを9店展開している。また、人気のアクションカメラ「GoPro」の日本の正規販売代理店業務も行うなど、幅広く事業を展開している。

 このビジネスの一環として、田嶋氏は次世代モビリティー事業を手掛け、育ててきた。日本でEVが盛り上がり始めてきた10年ごろからおよそ10年の間に、実際の製品販売までこぎ着けず撤退していったEVベンチャーは数知れない。だが、田嶋氏のEV事業はそれよりも前から動き始めていたにもかかわらず、長い年月を経て実現直前にまでこぎ着けているというから驚きだ。

 では、どのようにして田嶋氏はEVベンチャー事業で頭角を現してきたのか。同氏が手掛けた事業の軌跡から探ってみよう。