キヤノンが勝負に打って出る。デジタル一眼レフカメラで長らく「王座」に君臨する同社だが、売れ筋のミラーレスカメラではソニーに先行を許してきた。逆転への一手として2021年11月下旬に投入するのが、渾身(こんしん)の新型フルサイズ(35mmセンサー)ミラーレスカメラ「EOS R3」。現ラインアップでは最高位となる高性能モデルで、30コマ/秒の高速連写を実現した。視線入力によるAF(自動焦点)測距点の選択機能を20年ぶりに復活させるなど独自性に富む。そんな新型機の開発は苦難の連続だった。(本文は敬称略)
「未曽有(みぞう)の事態です。本当に間に合うのですか」
「今は信じて進めるしかない。早急に課題を洗い出してくれ」
「全ての目標仕様を搭載していくのは厳しい状況です」
「必要な仕様を再協議して最短ルートでの開発を目指さなくては」
20年春のこと。桜が咲く穏やかな気候の中、東京都大田区にあるキヤノン本社の会議室では、清田真人(同社イメージコミュニケーション事業本部ICB開発統括部門ICB製品開発センター部長)を中心に少人数ながらも熱い議論が交わされていた。しかし、夜になるにつれて焦りや不安の声も聞こえ始め、どこか殺伐とした空気感が漂っていた。
この空気感の原因は、清田が開発責任者を務めるフルサイズミラーレスカメラの新型機、EOS R3の開発日程に暗雲が垂れこめてきたことにある。新型コロナウイルス感染症の急拡大に対して政府が発令した「緊急事態宣言」。感染防止処置の徹底を急いだキヤノンは部分休業の状態にあり、新型機の開発も停滞していった。
「部品会社も稼働停止のようです……」
取引先からの試作部品の調達は遅れ、無事に部品が届いたとしても、それを確認したり組み立てたりする人員が出社できない。清田はカメラの機械設計畑を歩み数々の名機開発に携わってきた技術者であったが、こうも八方ふさがりの状態が続いてはなすすべがない。現物を扱うものづくりの難しさを改めて実感する。
タイミングも悪かった。キヤノンはEOS R3と並行するように、同じくフルサイズミラーレスカメラの「EOS R5」「EOS R6」の開発も進めていた。ただし、これら2機種の発売日は20年夏。緊急事態宣言が発令された段階で開発は大部分を終えており、製造拠点となる大分キヤノン(大分県国東市)での量産準備に入っていた。つまり、清田が責任者を務めるEOS R3が最も新型コロナによる打撃を受けたことになる。
東京五輪視野、背水の陣へ
新型コロナ禍により開発日程の遅延は避けられなかったが、目指すべきゴールはむしろ現実的なものになっていく。20年夏に開催予定だった東京五輪・パラリンピックの21年夏への延期が決まり、EOS R3の試験投入が可能になろうとしていたからだ。どうしたら五輪本番で活躍できる水準に仕上げられるか、清田らは背水の陣で開発に臨むことを余儀なくされる。困難な道なのは確かだが、挑戦する価値は大いにあった。
キヤノンのようなカメラメーカーにとって五輪・パラリンピックは最高の意見収集の場。そして、各国の報道カメラマンがどのカメラを選んだかを見れば近未来の市場勢力図が分かるとまでいわれ、それだけ重要な競争の場にもなっている。
「何が何でも21年夏の東京五輪に間に合わせるぞ」
清田は毎日のように開発陣に発破をかけていった。新型コロナによる不安はもちろん大きなものであったが、東京五輪・パラリンピックという輝かしいゴールの存在が開発陣を一致団結させることになる。
さらに、その半年後の22年2月には冬季開催の北京五輪・パラリンピックを控えている。最高の舞台をこうも連続で迎えられるとあれば、いかに大きな壁が立ちはだかろうとカメラ技術者たちの士気が高まらないはずはない。
そもそもEOS R3は、プロからハイアマチュアまでがあらゆる用途で使えるようにと企画され、スポーツや報道の現場での使用を視野に入れていた高性能ミラーレスカメラである。キヤノンが掲げるEOSシリーズのコンセプト「快速・快適・高画質」の追求を全方位で進めながら、特に快速(高速性能)を実現する技術をふんだんに盛り込む方針で開発を進めていた。
心臓部には、同社EOSシリーズ初のフルサイズ裏面照射積層型CMOS(相補型金属酸化膜半導体)センサーの搭載を決定。独自開発に挑戦していた。有効画素数は約2410万画素として、電子シャッター撮影時にはAF・AE(自動露出)追従で最高30コマ/秒、メカシャッター撮影時には同12コマ/秒での高速連写を可能にする。