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 「ドイツBMWが新型電気自動車(EV)を開発するようです」――。2008年冬、ブリヂストン欧州拠点から得た情報に、元F1タイヤ技術者の桑山勲(現在、次世代技術開発第1部上席研究主幹)は歓喜した。うまくいけば、燃費(電費)性能の向上を狙って開発中の大径・幅狭タイヤの実用化につなげられる。そんな期待を胸に開発を加速していくが、実現までには多くの壁が存在していた。(本文は敬称略)

ブリヂストンのEVタイヤを装着するドイツBMW「i3」
ブリヂストンのEVタイヤを装着するドイツBMW「i3」
大径・幅狭の低燃費タイヤ技術「ologic(オロジック)」を適用した「ECOPIA EP500 ologic」。ブリヂストンの桑山勲(現在、次世代技術開発第1部上席研究主幹)が中心となって開発した。BMW i3(初代)は2013年11月に発売。(出所:BMW)
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大径・幅狭に特徴があるEVタイヤ
大径・幅狭に特徴があるEVタイヤ
大径のため周方向のテンションが大きく、回転時の変形を抑えて転がりやすい。幅狭のため前面投影面積が小さく空気抵抗が小さい。図中では、BMW i3の装着タイヤ(タイヤサイズ:155/70R19)と同じ負荷能⼒を有する「185/60R15」のタイヤを「一般的な乗用車タイヤ」と定義して比較している。外径は約17%大きく、幅は約17%小さい。(出所:ブリヂストン)
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 「これがBMWの提示した性能値か」
 「車格に対して最高出力が大きいですね」

 BMW側の意見を精査してみると、新しい乗り味を目指す姿勢がうかがえた。既存のガソリン車やディーゼル車に似た乗り味のまま電動化するのではなく、駆動用モーターによる力強い走りを「面白い」と捉え、車両コンセプトとして前面に押し出している。当時、ガソリン車の延長線上でEV開発を続けていた日本勢とは設計思想から異なっていたといえるだろう

*編集部注:初代i3は最高出力125kW、最大トルク250N・m。参考として、日産自動車の初代「リーフ」は最高出力80kW、最大トルク254N・mである。

 桑山にとってBMWの要望は願ってもない好機だった。長年手掛けてきたF1タイヤの知見を生かして開発中だった大径・幅狭タイヤは、転がり抵抗値が小さく低燃費(低電費)といった強みがある。

 ただし、その特徴的な外径の大きさを理由に既存の車両プラットフォーム(PF)に適合できるかは不透明。一方、BMWのEVは新機軸のため、異質な形状のタイヤであっても実力次第で採用の可能性がある。

 BMW側もブリヂストンの挑戦を支援する意向であることがつかめてきた。この明確な目標設定によって、桑山らは大径・幅狭タイヤの開発により一層打ち込んでいく。しかしながら、早い段階で壁にぶつかることになる。

 最初の壁は製造設備にあった。一般的なガソリン車・ディーゼル車向けのタイヤ開発なら、机上でシミュレーションを繰り返した後、金型の製作、そして試作工場ラインの確保というように段階を踏む。

 しかし、今回は未知への挑戦。大径・広幅、小径・幅狭のタイヤは容易に造れても、大径・幅狭という常識外れのタイヤを製造できる能力があるか定かではない。製造部門との密接な連携や調整が不可欠であった。

 特殊なタイヤの製造には相応の専門知識が必要となるが、桑山の経験はここでも生きた。F1タイヤも特殊な形状であったため、これまで試作工場の技術者にはむちゃな要求を繰り返してきた経緯がある。それらを通して人間関係も既にできあがっていたため、桑山は製造関係の部署に頼み込んで回ることにした。

 「桑山がまた面白いことをやりたいといっている」
 「難しい挑戦だが、桑山がそこまで言うならやってみるか」

 もちろん、二つ返事で受け入れてくれる人ばかりではなかった。技術者は既存の業務を抱えており、工数を新たに確保するのは難しい。そのため、試作工場の情報を可能な限り収集し、数種類の技術・設備を組み合わせれば無理なく大径・幅狭タイヤを製造できることを突き止め、交渉の材料にした。この取り組みが功を奏する。

 これで試作タイヤの製造はできるようになった。このまま試作タイヤを使ったテストに移りたいところだが、次は大径・幅狭タイヤを組み付ける試作ホイールを新規開発しなくてはならない。桑山は予算の確保に奔走。必ず成果を出すことを確約し、こちらも多方面にお願いして回った。結果、20種類超の試作ホイールを新規開発したが、これだけでも費用は数千万円に及んだ。

 そして09年秋、同社技術センター(東京都小平市)にあるテストベンチを使った試験に移行していく。滑り出しは好調。狙っていた性能も発揮できている。最初の関門を突破した桑山らは、喜びを分かち合いながらもすぐに車両を使った性能試験に駒を進めていく。

十数秒で試験失敗に

 「できればこの車両に装着したいが」
 「いや、だめだ。空間があと10mm足りない」

 テストベンチでの試験を終えてから数日後、会議室には桑山らの焦りの声が渦巻いていた。理由は同社保有の車両ラインアップの中に適合するものがなかなか見つからなかったためである。

 試作タイヤの外径は700mm前後と、純正タイヤ比1.1~1.2倍に上っていた。当初、売れ筋だったBセグメントのハッチバック車への装着を想定していたが、フェンダー部分が邪魔をしてうまく取り付けられない。

 苦労の末、なんとか装着できるBセグメントの車両を見極めた桑山ら。性能試験に向けていざ発進――。と思いきや、どうにも雲行きが怪しい。

 「桑山さん、ステアリングホイールが切れません」