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「こんにちはマイコン」では“エラーは怖くない”と伝えたかった

 ひまを見つけては東京・秋葉原の電気街に通っていたすがや氏は1976年ごろにNECの「TK-80K」というワンボードマイコンキットに出合い、デジタル回路の勉強をするようになった。マシン語やアセンブラなどに比べて分かりやすいBASIC言語が出てきたことで、いよいよシャープのパソコン「MZ-80K」を手に入れ、プログラミングに熱中していく。

 当時はマイコンブームになりつつある状況で、すがや氏は自ら企画書を書いて出版社に売り込む。そして誕生したのが、1982年に出版したBASICを学べる「まんが版こんにちはマイコン」だった。

 「(プログラミングが注目された時代だから)マンガだけれども大人も買ってくれるはず。ただ、恥ずかしいからきっとカバーをかけた状態で読むだろう……。そんなことも企画書に書いていた。実際に発売となると、私自身が2回そういう光景を見た」(すがや氏)。

 「こんにちはマイコン」でメッセージとして伝えたかったことは、「エラーは怖くない」ということだったとすがや氏は語る。「プログラミングは挫折する人がすごく多い。エラーが起こるとコンピューターから怒られたような気分になるし、そのメッセージも多くは英語。その二つが初心者の高いハードルになっている」(すがや氏)。

 そこを超えるために活躍したのが、「ゲームセンターあらし」の主人公・石野あらし少年だ。

 「『あらし』というキャラクターの設定が、あまりデキのよくない少年。通信簿オール1で勉強ができないし、体育でも跳び箱も飛べない。こんな少年でも、プログラミングができるんですよといったことをテーマにした」(すがや氏)。

50歳を過ぎてから大学に入学、Pythonに出合いそしてハマる

 すがや氏は2005年、早稲田大学に入学。2009年には早稲田大学大学院に進学する。それぞれ54歳、58歳のときだ。Pythonと出合ったのは大学院時代のことだと言う。

 「早稲田大学人間科学部でインターネットを使った通信制大学の『eスクール』が2003年に日本で初めて始まり、入学した。そのときにJavaを1年間ほど学んだが、カッコが多くて苦手だと感じた。その後、修士課程に進んで『インターネット科学』を2年間学んだ。そのとき出合ったのが『Python』だった」(すがや氏)。

 最初の半年は基礎を学んだが、後期にはGoogle App EngineやDjango(ジャンゴ)を使ってブログを作るという実践を学習した。「2年目には好きなものを作っていいというので、統計学のWebサイトを作った」とすがや氏は語る。

 「心理学などでは必ず統計学を勉強するが、Excelなどでやると面倒。大学のコンピューターには統計計算用のソフトが入っていたが、残念ながら通信制の学生は使えなかった。Excelのデータをコピペするだけで統計計算ができるソフトがあればいいと思い、PythonをCGIに使ってWebサイトでプログラムを作った」(すがや氏)。

 すがや氏が作った統計計算プログラムは、「こんにちは統計学」として公開した。現在も、学生に人気のコンテンツになっているという。

 すがや氏はPythonを選んだ理由として、「Javaに比べてカッコが少なくて作りやすく、命令文もJavaやCなどと違って短くて覚えやすい」ことなどを挙げた。