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 米中対立の深刻化をきっかけに重要度を増している経済安全保障。その最たるものが先端半導体の国内量産拠点の確立だが、対象となっている技術は他にもある。その1つが、日本政府が2022年に立ち上げた経済安全保障重要技術育成プログラム(K Program)にも選ばれた「衛星VDES(VHF Data Exchange System)」である。

 衛星VDESを端的に表現すれば、「海のDX(デジタルトランスフォーメーション)の基盤技術」である。海洋関連のシンクタンクである笹川平和財団海洋政策研究所(OPRI)海洋政策研究部長の赤松友成氏は「海の世界のデジタル化は陸地の2~3周遅れ。陸地で起きていることが5~10年遅れでやってくる。近年、海での経済活動は増えているのに、現状は共通基盤がなくIoT(Internet of Things)化が進んでいないのが問題」と話す。

 衛星VDESは、VHF帯(超短波)の電波を使うVDESという通信方式で、地上(船ー地上局、船ー船)のみならず衛星コンステレーション(多数個の人工衛星の一群およびシステム)によって地球全体をリアルタイムにカバーする通信ネットワークである(図1)。船舶の安全な運航に役立つ情報だけでなく、船舶・コンテナの物流管理、船舶のエンジンの状態監視などさまざまな情報のやりとりを想定している。将来は、船の自動運航や省エネルギー運航の基本的な通信に不可欠な存在になる可能性が高い。OPRI特別研究員の渡辺忠一氏は、「人類共通の海運インフラになる可能性がある」とそのインパクトを語る。

図1 VDESに対応した初の商用衛星
図1 VDESに対応した初の商用衛星
デンマークのスタートアップSternula(スターヌラ)は2023年1月にVDES衛星の初号機「STERNULA-1」を打ち上げた。大きな「八木・宇田アンテナ」が特徴。2028年までに同衛星を61機打ち上げる計画だ(出所:Sternula)
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 日本は周囲を海に囲まれた海洋大国である。国土は世界で61位(中国は4位)だが、排他的経済水域(EEZ)の面積は世界8位(中国は11位以下)と大きく、貿易量の99.7%を海上輸送に依存している。また、日本の船会社が保有する実質的な船腹量(日本船籍および海外子会社の外国船籍の合計)は世界第2位の規模である。

 だからこそ、政府が一定の調達を補償する「アンカーテナンシー」的な手法で衛星VDES技術の優位性確立を目指す。経済産業省製造産業局宇宙産業室長の伊奈康二氏は、「衛星VDESは基盤インフラなので技術を自国で保有する必要がある。政府としては、日本が戦える領域ということで政府プロジェクトの採択に至った」と背景を説明する。

 今回のK Programでは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が研究推進法人となって、VDESの機能を搭載した衛星コンステレーションの技術および情報を集約・共有するためのデータプラットフォーム技術の研究開発を行う。期間は2022年度から2029年度までで、最大147億円の予算をつける。既に公募期間(2022年12月5日~2023年1月23日)を終えており、2023年3月下旬には委託先が公表される予定だ。

 重要なのは、この技術が安全保障と経済活動の「デュアルユース」に活用できる点だ。内閣府と経産省が衛星VDESの研究開発構想をまとめた文書には、以下のような一文がある。「本事業で研究開発を実施する海洋状況把握(MDA)のための衛星技術および双方向通信による海事情報の集約・共有用のデータプラットフォーム技術は、我が国が安全保障活動、社会経済活動を行う上で必須の基盤インフラ技術である」

 2022年10月には民間サイドでも大きな動きがあった。衛星VDESの普及を通じて海洋DXの推進活動をするための団体「衛星VDESコンソーシアム」が設立されたのだ。事務局をOPRIが務め、IHI、商船三井テクノトレード、古野電気、アークエッジ・スペース(東京・江東)、東洋信号通信社(横浜市)、日本無線、三井物産が立ち上げメンバーとして参画している(図2)。

図2 「衛星VDESコンソーシアム」が設立
図2 「衛星VDESコンソーシアム」が設立
設立は2022年10月。写真は2022年9月の衛星VDESコンソーシアム設立準備会合で撮影(写真:衛星VDESコンソーシアム)
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