後継者不足に悩む日本の製造業で人工知能(AI)を活用する動きが広がっている。技術伝承にAIを生かすうえでの課題、そしてAIが人の仕事を代替する時代に人間に求められる役割とは何か。慶応大学理工学部管理工学科教授の栗原聡氏に聞いた。(聞き手は岩野 恵、中山 力)
近年、人工知能(AI)の活用が加速しています。
ディープラーニングの登場により、画像認識や言葉の理解など、それまで人間にしかできないと思っていたことをAIが処理できるようになったため、近年再び注目が高まっています。現在、AIを使う一番の目的は効率化です。例えば、AIが人に代わって品質検査をする大量生産型の工場は間違いなく増えています。朝も昼も夜も休まずに動き、ミスも少なければ、こんなに良いことはありません。新しい技術で効率化するのは今に始まったことではなく、今後も止まらないと思います。
ただ、現状を正しく捉えるとしたら「人工知能」という非常にインパクトが強い言葉が表すほど、AIは「何でもできる」わけではありません。AIは自律的に動く水準にまで至っていないのです。
電卓やコンピューターといったITの延長線であり、単に計算して最適な答えを求めているに過ぎません。技術者が設計したようにしか動かない機械であり、道具なのです。AIが道具として人間に使われるところから脱却し、自分で目的を考えて動くようになれば、それはまさに「人工的な知能」と呼べるのではないでしょうか。
AIには創造性がない
現在のAIを技術伝承に役立てるうえで、課題はありますか。
少子高齢化で熟練技能者の持つ「匠(たくみ)の技」を受け継ぐ跡取りがいないため、技能が失われようとしているという話はよく耳にします。ディープラーニングを使えば匠の技をロボットで再現できるのではないか、と挑戦する人はいますが簡単ではありません。
まず、数値化できない美的感覚などをAIに学ばせるのは難しい。例えば、陶芸の釉薬(ゆうやく)によって生まれる色むらの美しさ、「侘び寂び(わびさび)」といった微妙な感覚は人によって評価が異なります。確実にこれが良いとは言えないわけです。AIは表面的な匠の技はコピーできても、匠の技の根底にある心、信念、神髄までは再現できないのです。
また、技術は受け継がれる過程で発展していくものです。しかし、AIを駆使しても新しい価値を付加するのは難しい。人間は日常生活でさまざまな経験をする中で得たさまざまな情報、一見全く関係のないもの同士を結び付けてひらめくことがあります。そうした偶発的な発見が技術を前進させている側面があるからです。
一方、今のAIはアイデアを生み出す創造性は持ち合わせていません。幅広い知識を提供して、AIの引き出しを広げることは可能かもしれませんが、従来の常識では考えられないような発想を促すのはまだ難しそうです。
AIが得意な効率化という分野でも、センシング技術が不十分で熟練技能者の動きを正確に捉えられないケースがあります。多数のカメラを周囲に配置して動画を撮影し、3Dデータを作成したとしても不十分なのです。
例えば、人間の体は膨大な数の筋肉が連携して動いています。その動きを詳細に再構成する技術はまだまだ実現できていません。特に手の微妙な動きや力加減、触覚のデータなどは十分に取れないのが現状です。取得したデータ処理の方法も難しいところで、直近で取り組むべき重要な課題だと思います。
AIの中でも特にディープラーニングを技術伝承に生かすと、結論に至る過程がブラックボックス化してしまうという問題も指摘されています。
ブラックボックス化を問題と捉えるかも議論の余地があるところです。悲しい話かもしれませんが、後継者がいない場合、人から人への伝承を待って技術が失われる前に、とにかく保存しておこうという考えもあります。熟練者の心は伝えられなくても、形だけAIに覚えさせるのです。
また、ディープラーニングはそもそもパターンを学んでいるに過ぎません。つまり入力に対して人間が定義した出力を返せるように訓練しているだけです。もし入力と出力の間に人が熟考すべき理由がないならば、ブラックボックスのままでもいいという意見もあるでしょう。
一方で、人から人へ技術を伝承するという目的がある場合は、匠の行動の背景にある理由、結果に至る過程まで解き明かしたいのも当然です。そうした要望を受けて、オントロジーという数十年前からあるAI技術が再注目されています。オントロジーはディープラーニングと異なり、記号を使って人間の知識を体系化するので、判断過程を把握できるのです。
ただし、単に昔の技術を使うのではなく、今のディープラーニングの技術をドッキングさせて質の高い記号処理をしようという方向で研究が進んでいます。10年ぐらい前に考案された技術がブラッシュアップされて、現時点では実用レベルにまで高まっているケースは少なくありません。最新の技術を追うだけでなく、広く過去の技術を見ることも重要だと私は常々主張しています。