「製造業における人工知能(AI)活用は今2周目に突入している」――。製造業を中心に20年以上コンサルティングをしてきたシグマクシス(東京・港)ディレクターの桐原慎也氏はこう語る。さまざまな業務でAI活用を試す「1周目」を経て、AIの得意領域を見極め、現場の知見などと組み合わせて本格的に活用する段階に入っているという。
製造業でのAI活用を拡大させる原動力は、ユーザーの必要性が高まったというニーズ側と、AIの実現レベルが高まると同時に導入しやすくなったというシーズ側の両方にある(図1)。現在の製造業は少子高齢化に伴う人材不足、競争の激化による低コスト要求などのさまざまな課題を抱える。一方、ディープラーニングが登場するなどAI技術が進化し、IoT(Internet of Things)化の進展で多種多様なデータを低コストで用意できるようになっている。
こうした状況の中、「匠(たくみ)」と呼ばれる人のように、高度な知識と技術・技能を持った熟練者の仕事の領域にもAIが活用できるのではないかという期待が集まっている。2021年11月に日経ものづくりが実施したアンケート調査によると、「AIが技術や技能の伝承に役立つと思うか」という質問に対し、「非常に役立つ」もしくは「ある程度役立つ」と回答した人の割合は7割を超えた(図2)*1。
今のAIは万能ではない
ただし、AI活用の拡大に懸念を示す人も少なくない。
「AIを100%信用するのか、参考にするのか、判断基準が難しい」
「(技術は変化するため)当初得られたAIの効果を、何年にも渡って維持できないのではないか」
「決まっている業務をこなすには最適だが、人が新たな発見をするチャンスが減るのでは」
これらは、同アンケートの自由記述に記載された読者の意見だ(図3)。そもそもAIは熟練者の判断を再現できているのか、短期的には導入効果があっても長期的には競争力が落ちるのではないか、という懸念である。
こうした懸念は、現在のAIが熟練者を完全には再現できていないことに起因する(図4)。慶応義塾大学理工学部管理工学科教授の栗原聡氏は「今のAIは『人工知能』という非常にインパクトが強い言葉が表すほど、何でもできるわけではなく、電卓やコンピューターといったITの延長線にすぎない」と指摘する。
現在のAIは熟練者の知見を文字や数値などのデータにして学習させるが、そのデータが質と量の両面で不足しているため、熟練者を完全に再現するのは難しい。また、一度AI化してしまうと、AIが答えを導くプロセスを人が理解できない場合が多い。AIは、人のように「自らの考え」を説明することもない。
加えて、AIだけでは成長しない点も人とは大きく異なる。先述のコメントの2つ目と3つ目の不安は、時の経過による変化が人とAIで異なるために生じる。人は日々の生活の中で新しい発見をし、成長していく生き物だ。対して、AIは新たな学習データを与えない限り、勝手に成長することはない。
つまり、今は理想的な結論を導き出せるAIでも、社会情勢が変わった未来では役に立たなくなってしまう可能性が高い。そのことを認識せず、AIだけに業務を任せてしまうと、人が成長する機会も失われ、将来の変化に人間もAIも対応できなくなってしまうリスクがある。
このように、熟練者を完全には再現できず、しかも成長しないというAIに対する不安を解消するためにはどうすれば良いか。完全性を高めるという点では学習データの充実がある。例えば、脳波を使って熟練者の判断を精度高く抽出するなど、質の高い学習データを用意する技術開発が進む。
残る不安を解消するには、やはり人間が技術を保有していくしかない。とはいえ、人から人への技術・技能の伝承は時間を要するのが長年の課題だ。しかも、昨今は人手不足で目の前の仕事に追われ、十分な伝承の時間を確保できない現場も多い。
そこで、少なからずAI化が進む現在において、技術伝承にAIを活用しない手はない。AIでただ熟練者の仕事を代替するのではなく、熟練者を再現するAIの力を借り、人への伝承を効率化していく。これがAI時代の技術伝承である。