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 「3G」(第3世代移動通信システム)の時代は、日本では「iモード」に代表されるモバイルインターネットが花開いた時代である。その世界に類を見ない成功は、スマートフォン全盛の4G(第4世代移動通信システム)時代という未来を世界に先んじて見せた時代でもあった。一方、世界の通信業界を見渡すと、2G(第2世代移動通信システム)時代に世界を制覇した欧州の通信業界が沈む一方、米中韓が力を蓄えた激動の時期でもあった。

1Gから5Gまでの移動通信システムの進化
1Gから5Gまでの移動通信システムの進化
NTT系はNTTドコモの前身である日本電信電話公社、NTT、NTT移動通信企画、NTT移動通信網を含む。KDDI系は、KDDIの前身であるセルラーグループ、IDO(日本移動通信)などを含む。ソフトバンク系は、ソフトバンクの前身であるデジタルホン、デジタルツーカー、J-フォン、ボーダフォン、ソフトバンクモバイルなどを含む。日経NETWORK2019年4月号から転載
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3Gが目指した「世界共通規格」

 携帯電話の通信方式の世代をさかのぼると、1G(第1世代移動通信システム)はアナログ技術をベースにしたものであり、2Gへの進化にあたってはデジタル化がその目的となっていた。この携帯電話方式は、機器メーカーや通信事業者による研究開発の対象であり、もともとは各国の標準化団体がそれぞれ通信規格を決めていた。

 従って、1Gでは国をまたぐと自国の携帯電話を使えないのが一般的であったが、2Gでは欧州各国が協調し「GSM」に規格を統一した。もとより国・地域間の移動が一般的な欧州では、国をまたがることで携帯電話が使えなくなる不便さを解消したかったというニーズがあった。

 GSMへの規格統一までの道のりでは各国間の主導権争いなどもあったが、規格統一の結果、その対象市場は国単位から地域単位へ拡大した。欧州GSM陣営はその勢いで海外への展開を進め、アジアやアフリカなどの他地域でも主力の携帯電話方式となった。

 一方、携帯電話普及では欧州と肩を並べていた他の市場では、欧州のような動きにはならなかった。日本ではPDCやTACS、米国ではCDMA、D-AMPS、GSMなど複数の方式が併存した。こうした中、GSMの成功は通信規格において規模の経済が働くことを証明していた。こうした背景から、3Gでは「世界統一規格化」が目標となった。

1Gから3Gまでの発展史
1Gから3Gまでの発展史
日経NETWORK2001年11月号から転載
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 通信規格の世界統一化については、GSM陣営はさらなる市場拡大の機会と捉えたであろうし、日本や米国など、2Gでは世界展開の波に乗り切れなかった陣営も、挽回の機会と捉えたであろう。こうした中、ITU(国際電気通信連合)は統一規格の名称を「IMT-2000」とし、統一を目指した。だが実際には、ITUがIMT-2000として認めた方式は7種類にもなった。結果から言えば、規格の統一化はできなかったのだ。

複数の勧告が併存する3G方式
複数の勧告が併存する3G方式
ITUは、2GHz帯という共通の周波数を使って1台の端末を世界中で使えるようにし、かつ通話品質の向上と最大2Mビット/秒のデータ通信の実現を目指して標準化を進めた。だが実際は一本化されなかった。日経コミュニケーション2001年4月2日号から転載
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