KDDI(au)の3Gサービス終了まであと数日に迫りました。本特集で触れた通り、3G時代は日本が端末開発で世界の先端を進み、独自のコミュニケーション文化を生み出すなど世界をリードしていました。なぜ日本は世界をリードでき、独自の端末やコミュニケーション文化を生み出せたのでしょうか。長らくauケータイの開発に携わってきたKDDI 5G・xRサービス戦略部エキスパートの砂原哲さんと、KDDIパーソナル企画統括本部プロダクト企画部企画1Gマネージャーの近藤隆行さんに、当時を振り返ってもらいました。(聞き手は堀越 功=日経クロステック、高槻 芳=日経クロステック/日経コンピュータ)
メール文化を花開かせた、ポスト団塊ジュニア世代
まずはこちらの写真を見てください。東京都多摩市にある「KDDI MUSEUM」の「au Gallery」の様子です。こちらでは2000年のauブランド発足以降、同社が扱ってきたすべての端末が展示されています。
展示を見てひと目で伝わってくるのが、3G全盛時代のケータイがそれぞれユニークで、生物進化の「カンブリア爆発」のような多様な生態系を生み出していたことです。
日経クロステック堀越(以下、堀):3G時代は、実に多様な端末が生まれていたことがひと目でわかります。スマホ全盛の現在からは考えられないほどです。当時なぜこれだけ多様な端末が登場し、さらには日本独自のコミュニケーション文化を生み出せたのでしょうか?
砂原哲さん(以下、砂):当時は業界の構造として、通信事業者を中心とした垂直統合だった点が大きかったと思います。端末のビジネス構造が今とは異なっていました。メール文化の走りは1990年代中盤でした。女子高生発の文化があり、PHSや初期のケータイに取り入れられました。3G時代にメール文化が花開いたのは、当時の若い世代であるポスト団塊ジュニア(1975年〜1981年ごろに生まれた世代)の文化と、ケータイの進化がリンクしていたからではないでしょうか。
堀:先日、NTTドコモが公開した「iモード卒業公演」の動画を見て気づいたのですが、この時代、一人1台の通信手段が手に入ったことで、コミュニケーション文化の爆発が起きたのではないかと感じました。
砂:そうですね。一人1台の端末が手に入り、メッセージを自由に送れるようになったのがこの時代です。それ以前は、部屋に固定電話の子機が入り、ポケベルで連絡を取り合っていました。彼女と連絡を取るのも大変でしたよね。メール端末が元気だった時代です。
日経クロステック高槻(以下、高):メールは非同期コミュニケーションなので、電話と異なり、いつでもつながるようになった点が画期的でした。
砂:確かにそれ以前は、電話する時間を決めなければならなかったり、長電話をする必要があったりしましたね。
堀:子供が中学生になるので、最近スマホを与えたのですが、ずっと友だちとLINEをやっています。それを見て、これまでつながらなかった相手といつでもつながるということは、最初のキラーサービスになるんだなあと思いました。
近藤隆行さん(以下、近):この時代のこの端末(ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ製「C1002S」)を見てください。こちらパネルの着せ替えができたんですよ。
砂:ファッションとしてのケータイの価値が生まれだした時代ですね。
高:ソニーだからインターフェースもジョグダイヤルですね。懐かしい。