日産自動車(以下、日産)が技術資産を利用して生み出した「ノート e-POWER」。開発当初は、既存のエンジンやモーターなどの流用を想定していた。しかし、車体に大型部品をどのように搭載するかというパッケージングをいざ考え始めると、そんな想定を打ち砕く課題が噴出。部品が大きすぎて、単純な流用では車体に搭載できないことが判明した。(本文は敬称略)
──この課題との戦いは、日産「e-POWER」開発物語(第1回)より以前、仲田直樹がパワートレーン開発のリーダー(責任者)を引き受ける約1年前まで時計の針が巻き戻る。
「どれくらい車体に収まらないの? 数cmくらい?」
「聞いたら驚きますよ、木村さん」
「えっ、もしかして収まるの?」
「10cm近くオーバーします。車体を見事に突き破りますね」
はぁー……。パワートレーン開発責任者直属のプロジェクトでマネージャーを担う木村誠はがっくりと肩を落とし、ため息をつく。「おもてなし」の言葉が効いたのか、2020年オリンピック・パラリンピック夏季大会の開催が東京に決定し、世間が活況を呈していたのとは対照的に、木村の表情は暗かった。当時(2013年秋)は雨天が多く、ほの暗い空が続いたことも気分を憂鬱にさせた。
「甘くないね、こりゃ」
「小型のハイブリッド車が必要だ」。そんな社内の声に押され、日産で新たな自動車開発が始まった。開発当初は、日産が保有するエンジン技術と電気自動車(EV)「リーフ」で培った電動化技術を結集・流用すれば、市場が求めるハイブリッド車をさくっと生み出せるのではないかという希望的観測があった。しかし、その希望は無残に砕けた。
最大のハードルとなったのは「小型」という点である。日産が目指したのは、ただのハイブリッド車ではない。「小型」のハイブリッド車だ。しかも、その開発はマイナーチェンジという制約を受けながら、エンジンやモーター、電池パックなどの大型部品を最適に設置する必要がある。結果、車体に部品類が収まらなくなった。
日産が保有する技術資産を生かすとしても、そのまま単純に流用すればよいというわけではなくなっていたのだ。
「車体端ぎりぎりまでエンジンを寄せよう。スペースを確保するんだ」
木村たちはすぐに動いた。エンジンの補機類を必要最低限まで選定して絞り、その幅のサイズを抑制。他の部品でもサイズを小さくできないか検討していった。
「頼む、小さくなってくれ! 全て小さくなってくれ!」
一例を挙げれば、ギアボックスは軸受けと軸受けの間を3cmほど縮めた。ギアボックスの軸を短くする。これはパワートレーンを車体に収めるために必要なことだ。その一方で軸が短くなれば、生産時の設置角度がほんの少しずれるだけで、軸が長い場合より悪影響が如実に出てくる。この変更は、サプライヤーに非常に細かな精度と大きな負担を求めてしまう。
(……サプライヤーにはきっと、「図面を描くだけの人たちは楽だな」とか思われるんだろうな)
小型化・設置スペース確保に向けたむちゃな要求をサプライヤーに聞き届けてもらう際は、木村も担当者と共に足を運び、頭を下げて回った。
「木村さんって、不安を食べちゃう人だよね」
実は、木村はパワートレーンに関する知識が薄かった。EVシステム開発部以前は、主に組み込みソフトウエアに従事する技術者だったからだ。にもかかわらず、上層部はマネージャーに木村を据えた。
(泣きたい)
知らないことばかりの分野に放り込まれた、率直な感想だった。さらに木村を驚かせたのは、プロジェクトに関わっている技術者たちの気質だ。
(主張が、……強い。ぐいぐい来る)
でも、わがままな内容じゃない。性能や燃費を引き上げなければならない、質量やコストを抑えなければならない。製品をより良くする最前線でスキルを有する技術者が戦い、せめぎ合っていた。
最初は面食らっていた木村も言葉を交わすうちに、徐々に彼らに溶け込んでいく。木村自身の穏やかな性格も奏功した。
「木村さんって、周りの人たちの不安やストレスを吸収して、食べちゃうような人だよね」
周囲は、温厚な雰囲気をまとった木村をそう評す。角が立ちがちな交渉事も、木村のゆったりとした語り口と落ち着いた声色で、凝り固まった気持ちを解きほぐし、いつの間にか軟着陸へと導いてしまうのだ。
木村の仕事に対する気持ちも変化していく。
(まとめ役という仕事をうまくこなす人間は、日産にたくさんいる。でも自分の役割・場所がきっとあるはずだ。みんなが主張することにできる限り応えて、みんなの人生の幸せを支えたい)
木村の性格は社内だけでなく、社外との調整でも一役買った。さらに彼が前に従事していた仕事の経験もサプライヤーとの話し合いに生きた。
その1つが「SWEEP(SoftWare Engineering Evolution Program)」活動だ。SWEEP活動とはソフトウエア品質に悩むサプライヤーと共に改善活動を進める試みであり、この中で木村はサプライヤーらとどう寄り添い、一緒に歩んでいけばよいのかを学んだ。
例えば不具合の発生で気持ちが沈んでいる人をどのように励ましてあげるべきか、どうすれば成功体験に導けるのかなどといったコミュニケーション術を磨いていた。この経験がノート e-POWERのサプライヤーとのやり取りにも役立った。