元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏は日本で数少ない半導体のプロ経営者だ。エルピーダの破綻から10年、ここ数年関わっていた中国・紫光集団を2021年末に離れ、フリーになった。そこで、中国半導体産業の現況、日本の半導体産業再興に向けた課題などについて、もろもろ語ってもらった。今回も前回に引き続き、坂本さんが引き継ぐまで、なぜあれほどエルピーダの経営は苦しかったのか、具体的な状況を聞いた。(聞き手は小柳建彦)
坂本さんが2002年秋にエルピーダメモリの社長に就かれたころ、生産を委託していたNEC広島の工場のDRAMの歩留まりが50~60%で低迷していたのに、NECの本社も生産子会社のトップも半ば放置していたというお話でした。当時日本の半導体大手は韓国サムスン電子(Samsung Electronics)や米マイクロンテクノロジー(Micron Technology)とのコスト競争で劣勢に立ち、シェアを減らしていたわけですが、負けるべくして負けていたのですね。
現場がいくら優秀でも経営がしっかりしてないと競争には勝てません。当時の日本の半導体大手はその典型例だったように思えます。
現場と経営の距離が遠い国内半導体大手
僕がエルピーダに入って生産委託先のNEC広島の工場を見に行って、現場の人たちの話を聞いてみると、本社の半導体事業のトップも、生産子会社のトップも、現場の集まりにはこれまで参加していなかったようです。だから社長である僕が自ら現場の歩留まりレビューに参加すると、「社長が自ら現場のミーティングに来るのは新鮮だ」と言われました。
僕がNEC広島の工場の歩留まりレビューに参加するようになっても、NEC広島のトップはめったに顔を出しませんでした。興味がなかったんでしょう。僕はもう我慢できなくて、このトップを代えてくれとNECの本社にお願いしたんです。本社は難色を示したんですが重ねてお願いして、代えてもらいました。
しかし、トップ交代後も歩留まりや生産性は思うように上がりませんでした。本格的に改善するのは2003年9月にエルピーダがNEC広島を買い取って直接運営するようになってからです。
NECはずっと、ほとんどNEC広島側の言い値で半導体を本社が買い上げていたんです。だからそもそも工場の人たちに生産性とか歩留まりとかを追求しようという意識が弱かったのだと思います。エルピーダができても、NEC広島にとっては買い手がNEC本社からその子会社であるエルピーダに替わっただけで、コストに応じた値段で買ってもらえるという発想は変わりませんでした。
本社の経営陣に半導体を分かっている本当のプロがいなかったのか、工場の言い分をそのままのんでしまっていたのでしょう。それではシェアが減ったり赤字が出たりしても仕方ないですよね。