元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏は日本で数少ない半導体のプロ経営者だ。エルピーダの破綻から10年、ここ数年関わっていた中国・紫光集団を2021年末に離れ、フリーになった。そこで、中国半導体産業の現況、日本の半導体産業再興に向けた課題などについて、もろもろ語ってもらった。今回は坂本さんがエルピーダ就任当初から、リスクを負った積極投資を続けた理由を聞いた。(聞き手は小柳建彦)
坂本さんは2002年11月にエルピーダメモリの社長に就任してから矢継ぎ早に設備投資に取り組みました。(記者として)外から見る限りは、苦労して資金調達しては設備投資するというサイクルの連続だったように見えました。そんなギリギリの戦いのなか市況はジェットコースターのように乱高下します。最初から大きなリスクを背負って積極投資を続けたのはなぜだったのですか。
日本のDRAMメーカーはどこも、工場の規模が小さ過ぎたんです。対する韓国サムスン電子(Samsung Electronics)は圧倒的に大規模な工場でコスト競争力が段違いに強かった。DRAM市場で2位や3位というポジションを固めて生存競争に生き残るには、工場の規模と技術開発の両面で先行して投資していく必要がありました。

サムスン電子とは工場の規模で圧倒的に差がついていた
たとえば2002年当時、NEC広島の工場の生産能力は口径200ミリメートルのウエハーでせいぜい月産1万5000~2万枚程度でした。一方、サムスンは口径300ミリウエハー1ラインだけで月産10万枚の能力があり、そのラインを同じ敷地の中でいくつもつなげて操業していたんです。その工場全体を1人の工場長で見る。だから秘書も1人でいい。エンジニア1人当たりの生産枚数がものすごく多くなる。規模の経済の差は明白で、コスト競争力ではまったく相手にもなりません。
さらに、サムスンは製造プロセスの開発ラインを3つくらい持っていて、そこで複数のチームで研究開発を競わせる。だからプロセスの世代交代のスピードが速かった。すでに2001年には口径300ミリのウエハーを使うラインで量産を始めていました。半導体業界で複数の研究開発ラインを競わせているのは今も昔もサムスンだけでしょう。
サムスンの大規模工場の強さを学んで取り入れたのが台湾勢です。彼らも2000年代に入ってからの工場建設は月産10万枚規模のラインを基本単位にしました。一方、日本の大手半導体メーカーはなぜか1つひとつの工場の規模が小さいままで、そのうち競争力を失って事業自体がなくなっていきました。今でも国内に数十の半導体工場がありますが、(日本メーカーの工場は)みんな規模が小さく、投入できるウエハーの口径も200ミリ以下です。