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 元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏は日本で数少ない半導体のプロ経営者だ。エルピーダの破綻から10年、ここ数年関わっていた中国・紫光集団を2021年末に離れ、フリーになった。そこで、中国半導体産業の現況、日本の半導体産業再興に向けた課題などについて、もろもろ語ってもらった。 今回は全盛期の日本の半導体メーカーの強さについて坂本氏の考えを聞いた。(聞き手は小柳建彦)

質問

前回、半導体メーカーにとっても製品開発力が大事だというお話をされました。かつて日本企業はソニーの「ウォークマン」やホンダの「カブ」など、世界を席巻する製品を考案する力が強かったように感じますが、半導体業界にも同じことが言えるのでしょうか。

坂本さんの答え

 日本の半導体業界は全盛期だった1980年代から1990年代までは工場のラインだけでなく製品開発の力がとても強かったと思います。半導体メーカーの実力が特に出るのはロジック半導体の分野ですが、当時の日立製作所やNECは本当に強かったのです。

坂本幸雄(さかもと・ゆきお)氏
坂本幸雄(さかもと・ゆきお)氏
(写真:加藤康)

世界を席巻した日立の「SuperH」、携帯端末の主流CPUに

 日立は1970年代から米モトローラ(Motorola)の技術をライセンスしてマイコンを造っていたのですが、1980年代になると独自のCMOS技術や微細化技術などが育ち、マイコン分野で本家を超える性能の製品を造れるようになります。すると同盟関係にあったはずのモトローラは、脅威に感じたのか1980年代半ばに日立へのライセンス供与を止めてしまいました。

 そこで日立は独自アーキテクチャーのマイコンを造り始めるのですが、その性能とか使い勝手がすごく良かった。プログラムの格納の仕方などに独自のアイデアを盛り込んで人気が出ます。1980年代後半に出した「H」シリーズのマイコンがもろにモトローラ製品と競合するようになると、とうとうモトローラは日立を特許侵害で訴えます。これに対して日立は逆にモトローラが日立の特許を侵害していると逆提訴して法廷闘争になりました。

 裁判では双方とも侵害しているという判決になり、結局両社は和解します。

 その後の1992年に日立が発売したのが「SuperH」(SH)シリーズのマイコンでした。これがもうズバ抜けて速くて省電力で小さくて費用対効果が高くてすごかった。いわゆるデジタル家電がこぞって採用し、SHを載せたゲーム機の「セガサターン」が大ヒットしたり、携帯情報機器向けOS「Windows CE」搭載端末がこぞって採用したりするなど、初めて日本独自のCPUアーキテクチャーが世界で有力なポジションを築きました。