元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄氏は日本で数少ない半導体のプロ経営者だ。エルピーダの破綻から10年、ここ数年関わっていた中国・紫光集団を2021年末に離れ、フリーになった。そこで、中国半導体産業の現況、日本の半導体産業再興に向けた課題などについて、もろもろ語ってもらった。 今回はソニー(現ソニーグループ)が2000年代前半に「PlayStation 3(PS3)」に搭載して普及を仕掛けた独自マイクロプロセッサー「Cell Broadband Engine」がなぜ成功しなかったか、坂本氏の考えを聞いた。(聞き手は小柳建彦)
日本の半導体メーカーがこぞって受注生産のシステムLSIの方に流れた2000年代、独自のマイクロプロセッサー「Cell Broadband Engine(Cell)」を米IBM、東芝と共同開発し、世の中に打ち出したのがソニーでした。ゲーム機「PlayStation 3(PS3)」にとどまらず、コンピューターや家電など幅広い用途で世界に広げる構想でしたがうまくいきませんでしたね。あのソニーの試みについては半導体のプロとしてどうご覧になっていましたか。
プロジェクトを率いていた久夛良木(くたらぎ)健さん(元ソニー副社長)は日本では珍しく技術の潮流を踏まえたビジョンと戦略を描く能力があり、なおかつ自前主義に陥らず他社とアライアンスが組めるリーダーだっただけに、もっと投資すれば面白い製品が育てられたのではと思っています。

Cellは大き過ぎた、でも問題点は投資すれば解決できた
久夛良木さんとは1990年代から付き合いがあって、他の電機メーカーの人とは全く違う発想をする人だなと思っていました。マイクロプロセッサーで世界標準を取りにいこうという発想は、彼ならではのものだったと思います。
普通のソニー社員の発想ならライバルは家電業界のパナソニックやゲーム業界の任天堂と思いがちですが、Cellを作ったとき彼は大真面目に米インテル(Intel)にチャレンジすると言っていました。
IBM、東芝と組んだのも久夛良木さんらしかった。自前かどうか全く気にせず、必要なら他社と組む。今風に言うとオープンイノベーションですが、久夛良木さんはごく自然にそういう発想ができた。
Cellは9つのCPUコアを搭載して、当時としてはかなり強力なマルチメディア処理能力を備えた魅力的なチップでしたが、チップサイズが大きい上に、消費電力が大きかった。ゲーム機のように電源につないで使う大きいマシンにはよかったけれど、当時世界中で急速に普及が始まっていた携帯端末には全然使えない代物でした。
でも逆に言えば問題点は分かっているわけですから、設計や微細加工プロセスなどの研究開発に十分投資すればもっと競争力のあるチップが造れたのではないかと思います。
しかしソニーは当時エレクトロニクス部門の業績が悪化して財政的に苦しく、経営も迷走していました。多種多様な事業を抱えた中で、久夛良木さんの構想を実現するのに必要なリソースを、決して基幹事業ではないCellには配分してもらえなかったんでしょう。