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 在庫は悪か、善か──。製造業はもちろん、流通業や小売業など多くの産業で、在庫の存在は常に悩ましい問題として論じられている。その中で、最も話題になるのが、在庫は悪か善かという議論だ。

 これらは、大きく3つの立場に分かれる。[1]在庫を絶対的な「悪」と捉え、在庫をミニマムにすることを強く説く立場。[2]在庫を販売(売り上げへの寄与)に必要な「善」と捉え、在庫を持つことこそが重要だと説く立場。そして、[3]在庫を「必要悪」と捉え、できるならば持ちたくはないが、必要な在庫は持たざるを得ないと説く立場だ。

 それぞれの立場には考えるに値する主張があり、単純には白黒を付けられない。だが、世間では、在庫は悪か否かの二元論で語られてしまうことが多く、大抵は「べき論」としての妥当性を背景に、在庫は「悪」だという立場に軍配が上がる。在庫が「悪」ということであれば、現場が抱える諸事情を顧みることなく、徹底的に在庫をミニマム化せよ、との教条的な議論が幅を利かせることになる。

(作成:日経クロステック)
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 しかし、今、産業を取り巻く環境が激変しており、在庫に関する考え方にも変化が訪れている。新型コロナウイルス禍による物流網の停滞に、ウクライナ危機をはじめとする国際情勢の激しい変化による供給不安、そして相次ぐ自然災害や人災による工場の操業停止など、さまざまな要因によって製造業のサプライチェーンが脅かされており、原材料などの供給不安は過去に類を見ないレベルにある。

 生産や販売に必要な原材料を是が非でも確保するために、在庫を大きく積み増す方針に舵(かじ)を切った企業は多い。「とにかく材料を入手することを最優先にせよ」、「あるだけの数量をかき集めろ」といった、少々乱暴な取り組みを推進している企業ももはや珍しくはない。

今こそ在庫のあり方を再考するチャンス

 この「調達非常事態」の中では、通常の在庫の考え方から離れて緊急避難的な取り組みを行うことも、状況次第ではやむを得ない話と考えられている。確かに、在庫を増やすと、生産や販売ができなくなる経営リスクを減らす効果はある。ところがその一方で、在庫の調達や保管などに関わる現金の社外流出やコストの増加といった経営リスクを増加させる。そのため、「在庫がないから生産や販売ができない」といったリスクを減らすためとはいえ、在庫の増加を「無秩序に緩和」することは避けなくてはならない。

 だが、現実には管理のタガが外れ、過剰になっているにもかかわらず在庫の確保が絶対的な正義になってしまってはいないだろうか。

 筆者の基本的なスタンスは、在庫は「悪」であるという考えだ。なぜなら、在庫は経営的には「資金の先食い」を意味しているからだ。在庫は、製品を生産し、顧客に販売して、代金の回収に至るまでは、会社の資金を一方的に食いつぶす存在だ。ただし、在庫は「悪」か「善」かといった単純な二元論的な議論に立って、在庫は「悪」であると声高に主張するものでもない。

 経営的な視点から、概念として在庫のミニマムが理想であることは、全くその通りだと考えている。だが、実際の現場における状況や立場、市場環境などを無視して、「在庫ゼロを目指せ」といった考えには疑問を持っている。特に、何のために在庫を減らす必要があるのかという本質的な議論を横に置いたまま、「在庫ゼロ」が目的化してしまっているような議論には首をかしげざるを得ない。

 そもそも、在庫ゼロ化は、経営目的を達成する手段として議論されるべきだ。在庫を必要以上に減じて売り上げに影響が出たり、生産性が低下したりしては、経営目的を達成できずに本末転倒となってしまう。ところが、在庫を単純に「悪」と考えて思考停止してしまうと、ともすれば在庫ゼロが目的化してしまい、経営への悪影響はそれぞれ担当者が「別に考えることだ」と、議論の横に放り出してしまうことになりかねない。

(作成:日経クロステック)
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