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 夢のような「宝くじ」があるとする。企業が100万円を支払うと、80%という高い確率で顧客の満足と500万円の売り上げが得られるというものだ。ただし、20%の確率でこの宝くじは外れる。外れた場合は顧客の反応や売り上げには全く変化はなく、100万円だけが失われるというものだ。読者はこの宝くじを買うだろうか。この宝くじが1000円で、80%の確率で5000円が当たるならば買う人がいるかもしれない。しかし100万円となると、躊躇(ちゅうちょ)する人がほとんどだろう。

(作成:日経クロステック)
(作成:日経クロステック)
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 さて、この宝くじを「在庫」に置き換えてみよう。100万円を払って在庫を持つ。つまり、調達活動を通して原材料を買ったり、生産活動を通して仕掛かり品や製品を保有したりすることを考えてほしい。顧客の受注予測の精度が高い場合、かなりの高確率で顧客からの受注が得られて顧客が満足する。その上、500万円の売り上げが得られる。

 ただし、確率は低くても、受注予測が外れてしまうと在庫は役に立つことはなく、倉庫や現場などに置かれたままになってしまう。そうした在庫を保有していても顧客が褒めてくれるわけではない。ただ自社から100万円の金が流出しただけの状態となる。

 宝くじと在庫は考えようによっては同じだ。宝くじにせよ、在庫にせよ、ある種の金銭的なリスクを負うことによって、より大きなリターンを得ようとするものだからだ。ところが不思議なことに、100万円の宝くじは当たる確率が高くても購入を躊躇するが、100万円の在庫を持つことになると、なぜか躊躇しない。見通しが外れるリスクを考えることなく、費用をかけてでも持とうとするのはなぜだろうか。

過剰在庫の責任を明確にすべし

 ビジネスの世界では、リスクを負わなければリターンを得ることはできない。ただし、買ってただ当たるのを待つ宝くじと、在庫を持つこととは違う。経営者や実務者は可能な限りリスクを小さくする一方で、より大きなリターンを得られるような取り組みを日々の経営判断や実務において行っている。在庫を持つという判断も同様だ。費用をかけて在庫を持つことが本当に適切なのか100%の確証が持てない状況であっても、在庫を持つか持たないかを判断しなければならないときもある。

 費用をかけるというリスクを負って在庫を持つと判断した場合、その判断によって売り上げ獲得などの適切なリターンがあれば、その判断は適切であったと評価される。しかし、在庫を持つという判断をしたにもかかわらず、想定される売り上げの獲得などのリターンがなければ、その判断は適切でなかったと評価される。

 一般のビジネスでは、リスクを負って何かを判断した人物(組織)は、当然ながらその結果に対して責任を負うことになる。ところが、在庫の場合は費用をかけて在庫を持つと判断した結果、その判断が適切ではなかった場合でも、うやむやになってしまうことが多い。「当時の判断のどこが問題だったのか」「今後の判断に向けて何を改善すべきか」といった議論が行われないのだ。

 ここで「結果に対して責任を負う」とは、組織上の何らかのペナルティーを負うということではなく、判断の誤りを客観的に受け止めて今後に向けて健全な対応を議論する責任があるということだ。それがなければ、誤った判断が今後も是正されることはなく、役に立たない在庫の山が出来上がるだけだ。