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 冒険者諸君、ごきげんよう。謎と神秘に満ちた暗号学(cryptography)の世界に踏み込む覚悟はできているだろうか。

 暗号とは、ある事実や情勢を、悪意のある何者かから守るという考え方であり、古くから存在する。本特集にも、悪意から自分たちを守るのに欠かせない呪文が登場する。この技を身につけようと、これまでも多くの者が挑んできたが、習得までの道に立ちふさがる難関を乗り越えられた者は多くない。それほど刺激に満ちた冒険が、いま始まろうとしている。

暗号の要、プロトコルの保護ということ

 私たちの旅はここ、暗号に関する概論から始まる。暗号(cryptography)とは、妨害活動からプロトコルを保護するための考え方だといえる。では、そもそもプロトコル(protocol)とは何だろうか。

 簡単にいえば、プロトコルとは、ある人(何人でもかまわない)が、なんらかの目的を達成しようとするときに従う一連の手順のことだ。たとえば、見張りがいない状況で、魔法の剣を数時間ほど手元から放して仮眠をとりたい、そんな場合を考えてみよう。これを実行するプロトコル、つまり手順は以下のようになる。

  • 魔法の剣を地面に置く
  • 木の根元で仮眠する
  • 剣を地面から拾い上げる

 もちろん、これでは万全のプロトコルにはほど遠い。寝ているあいだに、誰でも魔法の剣を盗めてしまうからだ。つまり、暗号で重要なのは、隙を狙ってくる敵を想定することだ。

 その昔、支配者階級も一般大衆も、互いを欺いたり、謀反を企てたりすることに汲々としていた時代には、秘密の情報を味方どうしで共有する方法を見いだすことが、大きな問題だった。そこから暗号という考え方が生まれ、長い年月と懸命な努力を経て、今日の本格的な体系ができあがっていった。今や、暗号は身の回りの至るところに存在し、混迷と敵対に満ちた世界で基本的なサービスを実現するために使われている。

対称暗号:対称暗号化とは何か

 暗号学の基本となる概念のひとつが、対称暗号化(symmetric encryption)である。本特集に登場する大半の暗号アルゴリズムで使われており、それだけに重要性はきわめて高い。この概念を導入するために、ここでは第1のプロトコルを使うことにする。

 アリス女王がボブ卿に宛てて手紙を送りたがっている、そんな場面を考えてみよう。ボブ卿は、少し離れた国に住んでいる。アリス女王は、忠実な使者にこう命じる。ボブ卿の国までの危険に満ちた土地を駿馬で走り抜け、大切な手紙をボブ卿に届けてほしい─。

 だが、気がかりがある。手紙は何者の目にも触れてほしくない。長いあいだ城に仕えてきた忠実な使者ではあるが、その使者も含めて万一ということもある。女王が送る手紙なのだから、きっと王国でささやかれているゴシップの類がしたためてあるのだろう。

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