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 食卓の前に座った私はサングラスのような小型のヘッドマウントディスプレー(HMD)を装着している。AI(人工知能)が私の栄養状態から肉の消費量を控えたほうがいいと判断し、HMDを介して見える肉のサイズを大きく映す。実際に食べた量が少なくても満腹感を得られた。肉の見た目が高級そうだったこともあり、いつもよりおいしく感じて満足度も高い。これまでは努力して取り組むのが当たり前だった食事制限が実践しやすくなる――。そんな未来の食事がデジタル技術の応用で実現するかもしれない。

見た目の大きさで満腹感が変化

 未来の食事で利用される技術の1つが、様々な感覚が密接に影響を及ぼし合う「クロスモーダル現象」だ。これは視覚や聴覚、味覚、嗅覚、触覚などが影響し合う現象で、それらが同時に脳へ伝達された過去の経験などがあると、確からしい感覚を他の感覚の刺激から錯覚する場合がある。

 人間が食事で得る満足度も、食事の味や匂いのほか、見た目や音などの情報が互いに影響し合ってもたらされる。そのため、食品の見た目を変化させれば、クロスモーダル現象によって満腹感やおいしさといった食体験の感じ方も変わる。例えば、AR(拡張現実)でクッキーを大きく表示して満腹感を得やすくしたり、見た目を変えて異なる味を感じさせたりする研究が進んでいる(図1)。東京大学大学院情報理工学系研究科准教授の鳴海拓志氏が手掛けた。

図1 ARでクッキーの見た目のサイズを変えた実験
図1 ARでクッキーの見た目のサイズを変えた実験
クッキーそのものだけでなく、持つ手の映像も調節して表示している。(写真の出所:鳴海氏、図は取材を基に日経クロステックが作成)
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 研究では、クロスモーダル現象の効果を確認するための比較実験を行った。実験参加者はHMDを装着しながら一定の満腹感を得られるまでクッキーを食べる。その際、実際のクッキーや手のキャプチャー映像からそれぞれの領域を抽出し、クッキーの映像を設定した値で拡大したり縮小したりする。違和感を与えないよう、手の映像もクッキーのサイズに応じて変形させる。その後、クッキーと手の映像を背景画像に重ねてHMDで表示する。

 クッキーの見た目を1.5倍のサイズに拡大した場合、クッキーの消費量を減らせる傾向が見られた。逆に見た目のサイズを0.67倍に縮小した場合、実験参加者は多くの量を消費したという。「見た目のサイズを変えることで、食事量を10%前後増減できることを示せた」と鳴海氏は話す。また別の実験では、プレーン味のクッキーにチョコレート味のクッキーの映像を重ねて匂いを嗅がせると、まるでチョコレートクッキーを食べたように感じやすいことが分かった。

実物とは異なる料理の味を感じる場合も

 見た目を変えて別の料理だと錯覚させる研究も進んでいる。実際はそうめんを食べているのに、そうめんの映像の上からラーメンの映像を重ねて見た目を変えることで、ラーメンを食べているように感じさせるものだ(図2)。奈良先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科に所属する中野萌士氏が、クローン病になったため大好きなラーメン(麺に含まれるかんすい)を控えなければならなくなった実体験に基づき研究を始めた。

図2 別の食事の見た目に変えて食べる実験風景
図2 別の食事の見た目に変えて食べる実験風景
そうめんをラーメンや焼きそばのような見た目に変えて食べると、それらの料理を食べているように感じるかを調べた。同様に白米の見た目をカレーライスやチャーハンに変えた。(出所:中野氏)
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 HMDで表示する映像は、実際の食品の映像をリアルタイムに処理して変えている。例えば、あらかじめラーメンや焼きそばの映像を学習させ、元のそうめんの形状を保ちながら、麺や汁の色を変えたり具材を重ねて映したりする。「12人を対象にそうめんや白米の見た目を変えて食べてもらったところ、感じる味や料理の種類をある程度変えられることが分かった」と中野氏は話す。