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 ブロックチェーン基盤「Ethereum(イーサリアム)」の提案者であるVitalik Buterin(ヴィタリック・ブテリン)氏は2022年1月、自身のブログ記事 “Soulbound”において、譲渡不能なNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)のアイデアを紹介した。同記事では、現状のNFTは取引可能なものであり、所有者の「富」を示すものとした上で、譲渡不能なNFTが示す価値やその可能性について示唆した。

 同年5月には、ブテリン氏とともに、Eric Glen Weyl(エリック・グレン・ワイル)氏[1] とPuja Ohlhaver(プジャ・オールハーバー)氏が、論文“Decentralized Society: Finding Web3's Soul”にて、譲渡不能なSoulbound Token (SBT)の特性、社会的な意義やユースケースに関する議論を行った。

 本稿は、ブロックチェーンの国際団体であるBlockchain Governance Initiative Network(BGIN)で筆者が取りまとめた“Soulbound Tokens (SBTs) Study Report Part 1: Building and Embracing a New Social Identity Layer?”(2023年2月)の概要およびSBTに関する最近の動向を紹介する。

 なお、本稿に記載されている事項は、あくまで筆者個人の見解であって、筆者の所属する組織の公的な見解を示すものではない。

Soulbound Token(SBT)の背景

 本連載第4回では、NFTの仕組みやデジタル権利の表明として利用できるかについて議論した。 SBTのアイデアの発端は、インターネットの世界にアイデンティティー層が欠如していることから生じている様々な問題への課題意識にあるといえる[2]

 「譲渡可能」かつ「匿名」であるということは、すなわちNFTの所有者について、「NFTを所有している」状態を示すに他ならず、所有者固有の情報を表すことにはならない。Weyl et al. (2022)は、このアイデンティティーが欠如した状態ゆえに、NFT、DAO(Decentralized Autonomous Organization:自律分散型組織)、カストディアル・ウォレット[3]において「中央集権」サービスに依存している構造や、分散型金融では実社会において人間関係を基礎とした基本的な経済活動(例えば、無担保融資や賃貸契約)が実施困難であるとの分析を示した。

 またNFTは「譲渡可能」かつ「匿名」であるゆえに、NFTの価値を人為的に操作するウォッシュトレード(仮装売買)や、NFTの購入を通じたマネーロンダリング(資金洗浄)といった違法行為[4]が確認されている(Chainalysis、2022)ことや、ガバナンストークンが簡単に取引されることでガバナンス機能が少数に集中してしまうリスク[5]など(金融庁、2022年)の負の側面も懸念されている。

 これらの現状を踏まえブテリン氏などが構想したのが、1人で何個でも持つことのできるインターネット上の仮想人格(アバター)である「Soul」から他の「Soul」への譲渡不能(Soulbound)な特性を有するトークン「Soulbound Token (SBT)」である。これは匿名であったとしても、所有者自身に関する情報を表すことになるため、SBTは所有者のアイデンティティーの証明になり得ると考えられる。

SBTの特徴 DIDやNFTとどう違うのか?

 SBTによるアイデンティティーの証明の可能性について述べたが、そもそもアイデンティティーはコミュニティーや人間関係の中で確立するものであり、突如として単発的に現れるものではない。これを反映するように、SBTは、企業、地域、同窓会、ファンクラブ、家族等のコミュニティーへのメンバーシップを示すようなものであり、氏名にひもづいている必要もなく、所属するコミュニティーにおいて発行される様々なSBTを保有することができる。

 そもそもSoulboundという言葉は、オンラインゲーム「World of Warcraft」のプレーヤーがクエストをこなすことで獲得する「soulbound items」に由来する。このアイテムはプレーヤーにひもづくため、他のプレーヤーには譲渡できない。その他にもこのゲームでは、複数のプレーヤーが集まってギルドと呼ばれるグループを組むことや、クエストの実績を通じてプレーヤーやギルドへの評判・信頼(ゲーム内では「レピュテーション」と呼ばれている)を構築・表示することができる。

 このことから、ブテリン氏は単にsoulbound itemsの譲渡不能性だけに着目したのではなく、世界中のプレーヤーがオンライン上で、匿名のキャラクターとして集まりながら、コミュニティーや評判・信頼を構築し、それに基づく人間関係を形成していくWorld of Warcraftの世界観からSBTの着想を得たのではないかと推測される。

 Weyl et al. (2022)は、SBTの特徴について、(1)公開、(2)譲渡不能、(3)取り消し可能、(4)SBT発行者による処分および再発行[6]を示している。ただし、これら特徴はプロトタイプとしてのSBTの特徴であるにすぎないことに注意が必要であり、現段階においてSBTに関する明確な要件は存在しない。

 「公開」はあくまで暫定的な特徴であり、最終的には「プログラマブルなプライバシー」の特性を持たせるのが望ましいと示されている。プログラマブルなプライバシーとは、例えば好きなアーティストをファンクラブのメンバー内外に公開することに抵抗がないとしても、企業における社員の営業成績を所属組織外に共有することには強い抵抗を覚えるように、情報の内容、受け取る相手、文化的な背景などに応じて、公開の程度および開示先を制御できるようにする形態を指す[7]

 同論文では秘密鍵を紛失した際の対応についても、以前にブテリン氏が紹介したソーシャルリカバリーの手法を発展させた「コミュニティーリカバリー」を提案している。コミュニティーリカバリーとは、紛失した主体が所属する複数のコミュニティー(例えば、職場、部活、DAO)から、それぞれその主体とリアルタイムで交流のある個人を広範に特定し、彼らの合意を得て秘密鍵を回復する仕組みである。

 ソーシャルリカバリーの手法では、秘密鍵を回復する必要が生じたときのため、事前に複数の「ガーディアン」を任命しなければならない。だがガーディアンを登録した時点における関係性を前提としているため、特定のコミュニティーに偏っていたり、紛失した時点においてガーディアンとの連絡がつかなかったり[8]、フィッシングにより攻撃者をガーディアンに指定してしまってアカウントを乗っ取られたり、などのリスクがあった。その点でコミュニティーリカバリーのほうが、より強靭(きょうじん)な仕組みであるとしている。

 これらのSBTの特徴を踏まえ、DID(Decentralized Identifier:分散識別子)によるSSI(Self Sovereign Identity:自己主権型アイデンティティー)[9]、NFTおよびSBTの比較を行ったものが図1である。

図1 DID、NFTとの比較
図1 DID、NFTとの比較
(出所:BGIN “Soulbound Tokens (SBTs) Study Report Part 1: Building and Embracing a New Social Identity Layer?”を基に筆者作成)
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デジタルアイデンティティーとして

 SBTがアイデンティティーの証明の役割を担うのであれば、デジタルアイデンティティーの原則を踏まえることが重要である。

 米Microsoft(マイクロソフト)の元アイデンティティー・アーキテクトであるKim Cameron(キム・キャメロン)氏は、2005年に公開した “The Laws of Identity”において7つの原則を示した。 (1)ユーザーによる制御と同意、(2)限定された用途で最低限の公開、(3)正当な関係者のみへの情報開示、(4)方向付けられたアイデンティティー、(5)複数のアイデンティティープロバイダーとの技術の相互運用性、(6)人間の統合、(7)シンプルで一貫性のあるユーザーエクスペリエンス、である[10]

 一方、本記事の筆者の1人である崎村夏彦は2021年出版の著書「デジタルアイデンティティー―経営者が知らないサイバービジネスの核心」の中で、「デジタル存在(Digital Being)の7つの原則」として、(1)責任あるデジタル存在、(2)表現力のあるデジタル存在、(3)データの正当な取り扱い、(4)忘れられない権利の尊重、(5)人間に優しい、(6)普及しやすい、(7)誰もが利益を得られる、を提唱している。

 「デジタル存在(Digital Being)の7つの原則」の第4原則で「忘れられない権利」を挙げたのは、EU一般データ保護規則(General Data Protection Regulation:GDPR)が規定する「忘れられる権利」[11]を前提にしている。例えば、SBTがシグナルする評価が必ずしも良いとは限らない場合やその良しあしに関わらず年月を経て公開されたくないという要請がある場合、「忘れられる権利」を行使したくなるであろう。一方、本人に関わる情報が国家権力によって記録削除に処されること、あるいは存在しなかったことにされてしまうことは歴史上多数見られる。「忘れられない権利」はこれに対抗するためのものであり、正しい自己像をコミュニティーに提示できるようにするために必要なものである。

 この他にも、前述したプログラマブルなプライバシーについては、ISO/IEC 29100が規定する「プライバシーの11原則」[12]や各国の個人情報保護法などを踏まえてSBTを設計していくことが重要だと考える。

 さらに、実社会では絶えずコミュニティーが生まれ、拡大し、縮小、回復、消滅する一連のサイクルがみられる。SBTはこのように変化のあるコミュニティーへのメンバーシップを基礎としていることから、SBTやそのコミュニティーは、それぞれのライフサイクルの段階に応じた適切な管理が求められ、ライフサイクル管理の設計も今後必要になるだろう。