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 今、次世代地上デジタル放送(地デジ)技術の議論が総務省で進められている。現在は2018年に始まったBS(放送衛星)またはCS(通信衛星)の「新4K8K衛星放送」で「4K」などの番組が視聴可能だが、次世代地デジでは、衛星放送やケーブルテレビではなく、テレビ塔などから電波を送信することで4K以上の高精細コンテンツを視聴できるようにするのが狙いだ。

4K=3840×2160画素など、水平方向の画素が約4000個ある映像データと、それを表示できるディスプレー技術や放送サービスの総称。8Kは7680×4320画素などとなる。

 技術仕様策定の事務局である総務省放送技術課は、この取り組みの理由を「2003年に地上デジタル放送が(首都圏などで)導入されてから来年で20年。海外でも技術刷新の動きがあり、日本で何もしないわけにはいかないから」だとする注1)。実際、総務省は2019年に始めたこの技術仕様の策定作業を、2023年度に完了させる計画である。

注1)例えば、韓国では、米国が策定、規格化した次世代地上デジタル放送の方式「Advanced Television Systems Committee(ATSC)3.0」を規格化の完了を待たずに採用し、2017年5月に4Kの地上デジタル放送をソウルで開始した。現在はほぼ同国全土で放送されている。欧州でも放送方式としては4Kや8Kの放送が可能な「Digital Video Broadcasting - Second Generation Terrestrial(DVB-T2)」が2009年に規格化された。まず、英国が2010年3月に本放送に採用した。2017年までにはドイツなど欧州の多くの国・地域がDVB-T2を採用。2020年にはイタリアが採用して移行を進めている。ただし、符号化技術はまだH.264のままでほとんどが1280×720画素または1980×1080画素の放送にとどまっている。DVB-T2への移行が進んでいないのはフランスやスペインなど。もっとも、フランスでは2019年にパリなど一部地域で4Kの地上放送が試験的に実施された。同国は2024年のパリ五輪に合わせて、DVB-T2への移行を急ぎ、4Kの本放送を始める計画である。スペインは2016年から4Kの地上デジタル放送を試験的に行っており、2020年10月には8K地上放送の実験も実施した。スペインでは早ければ2023年にも4Kの本放送を地上波で始める可能性がある。

8Kが事実上消えた

 ただ、この計画には2つの大きな疑問が湧く。1つは、議論の中で「8K」という言葉がほとんど出てこない点。大半は4K、または「UHD(Ultra High Definition)」という言葉が使われている。UHDは、4K以上という意味で、8Kを排除はしていない表現ではあるが、議論中の技術仕様のパラメーターを見る限り、8Kはほぼ想定されていないのが実態だ。

 もう1つの疑問は、どの周波数帯の電波を使うかを決めていない点。これまで電波を使う放送や無線通信の世界で新しい技術を導入する際は、まずどの周波数帯を使うか、そしてその周波数帯に割り当てられている既存の用途をどうするかを考えるのが第一歩だった。ところが今回はその議論がまったくないのである。

4K8Kテレビは驚くほど安い

 まず、1つめの疑問である8K放送の現状と今後の行方を軸にして状況を説明する。

 最初に確認したいのは、現時点で8K対応のテレビは驚くほど安いという点だ。発売当初は100万円前後もした(図1注2)。今もその価格帯のままであれば、購入できる一般家庭は非常に少なく、市場はサイネージなど一部の業務用に留まっていただろう。その場合、8K放送が次世代地デジの議論に入らないのは不思議ではない。

図1 急速に安くなっている4K/8Kテレビ
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図1 急速に安くなっている4K/8Kテレビ
55型4Kテレビまたは55~60型の8Kテレビの価格の推移。4Kテレビは平均10万円前後、最安では約6万円になっている。8KテレビはLG Electronicsなどの型落ち品(2020年モデル)などで約11万円、比較的新しい製品でも18~25万円ほどで販売されている(価格は日経クロステック調べ、出所:日経クロステックが作成。写真は各社のWebページよりキャプチャー)
注2)「4K対応テレビ」または「8K対応テレビ」は一般には、その放送を受信できるチューナーを持たないが、4Kまたは8Kの高精細な映像は表示できるテレビを指す。チューナーを備えた製品は「4Kテレビ」、「8Kテレビ」と呼ばれ、4K対応テレビとは区別されている。

 ところが実際には今、8Kテレビは急速に価格が下がっている。1~2年前に発売された製品であれば、8Kチューナー内蔵でも10万円台前半であることが珍しくはない。4Kテレビはさらに55型で約6万円などと非常に安くなっている。8Kは画素数では4Kの4倍だが、価格では2倍の差もないケースが出ているのである。

4Kテレビは急速に売れている

 こうした価格の低下を受けて、4Kテレビは、かなり売れているようだ。新しい放送技術の普及促進を担当する放送サービス高度化推進協会(A-PAB)によれば、新4K8K衛星放送に対応した4Kまたは8Kテレビの普及台数は2022年6月末時点で約1320万台で、これは日本の約5950万世帯(2021年1月1日時点、総務省調べ)の2割に相当する(図2)。ただし、この1320万台の大半は4Kテレビまたは4K対応のビデオ機器である。

図2 4K8K衛星放送の視聴可能世帯は2割弱
2018年に始まった新4K8K衛星放送の受信可能なテレビまたはビデオなどの機器の台数の推移(a)とその4Kと8Kの内訳(b)。対応するテレビやビデオなどを購入した人は約2割弱いるが、その大半は4K番組しか視聴できない(出所:(a)はA-PABの公表データを基に日経クロステックが作成、(b)はA-PABが2022年4月に発表した「4K・8K 放送市場調査結果のまとめ」より引用)
(a)2022年6月末時点で1320万台のテレビまたはビデオ機器などが新4K8K放送を受信可能
(a)2022年6月末時点で1320万台のテレビまたはビデオ機器などが新4K8K放送を受信可能
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(b)持っている”新4K8K放送受信機器”の85%は8Kは受信できない
(b)持っている”新4K8K放送受信機器”の85%は8Kは受信できない
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 この普及速度は、過去のBS放送などの受信設備の普及速度に比べて速い。BSによるアナログ放送が始まった1989年以降、視聴可能な受信機器が1300万台に達したのは1997年ごろで約8年もかかった注3)。BSデジタル放送でも約7年。今回は4年足らずということで、勢いでは過去を大きく上回った。

注3)中央調査社調べ。

 これには、2021年夏の東京五輪や2022年冬の北京冬季五輪、さらには新型コロナウイルス感染症による巣ごもり需要が後押しになったと考えられる。ただし、一時期50万台/月だった増加の勢いは、2022年に入って平均30万台/月弱と、やや鈍ってきている。

「4K右旋」はハードルが低い

 ただし、今回と過去の普及時での単純比較は妥当ではない。当初のBSアナログ放送にせよ、BSデジタル放送にせよ、視聴にはテレビだけでなく、パラボラアンテナや同軸ケーブル、建物によってはブースターなどの受信設備も併せてそろえなければならなかった。

 一方、今回はハードルが圧倒的に低い。既存のBSの送受信装置は「BS右旋」とも呼ばれる。このBS右旋で放送される4K番組だけ視聴するのであれば、既存のBSや110度CS放送用の受信設備は変更する必要がなく、テレビまたはチューナーだけ対応させればよいケースがほとんどだからだ。しかも、多くの4Kテレビまたは4K映像を録画可能なビデオ機器は、新4K8K衛星放送のチューナーが標準装備されており、買い替え需要だけで自動的に数が増えていく。

右旋=偏波、つまり横波の振動面が進行方向に向かって右回りに回転するように電波を出す技術。一方、同じアンテナ、かつ同じ周波数で左回りに回転するように電波を出すこともでき、それを「左旋」と呼ぶ。右旋と左旋の電波は受信側でも区別して受信可能である。

8Kの視聴者は100万世帯前後か

 ただし、BS左旋や110度CS左旋で提供される4K番組や8K番組を見る場合は話が変わる。A-PABが実施した調査では、8K番組を受信、表示できるテレビなどを所有していたのは全体の1.5%にすぎない。これを基に1320万台中、8Kを受信可能なテレビやビデオを推定すると約100万台超。これは過去のBSの普及速度からみてもかなり遅い。

 8K番組を視聴できるテレビなどの普及が遅いのは、新4K8K衛星放送開始時に、8Kテレビの価格が4Kテレビに比べてやや高価だったという点よりもむしろ、受信設備の導入が高いハードルになっていると推定できる。普及が進む4Kに対して、既に8Kは置き去り状態にあるわけだ。

無線LANと周波数が競合

 まず8Kの放送番組は現状、NHKがBS左旋で提供する「BS8K」1チャンネルしかない。一方、左旋の番組コンテンツを受信するにはまず、パラボラアンテナを右旋および左旋の両方に対応したものに買い替える必要がある。

 さらに、集合住宅ではブースターや分配器、各戸の部屋で使う分波器などを交換または増設する必要がある場合が多い。左旋の番組は、パラボラアンテナで受信後、同軸ケーブルで各戸に送る際、従来より高い周波数の2G~3GHz台の搬送波に載せて伝送されるからだ。この周波数帯は2GHz以下の周波数に比べて減衰しやすいうえに、従来のブースターや分配器、分波器がこうした高周波の信号に対応していない。さらには、電子レンジや無線LANなどの利用周波数と重なり、それらからの電波干渉を受けやすい。こうした点から伝送路の改修(左旋改修)が必要になるのである。

 集合住宅の場合、これらの改修費用は1戸当たり10万円前後。例えば30戸のマンションなら工事総額は300万円前後に上る。何も対策しなくてもBS右旋の4K放送を視聴できる中で、左旋の番組を見るためにこれらの出費をあえてするマンションの管理組合は多くはない。

 結果、A-PABによれば、2020年3月時点でBS右旋の番組をパラボラアンテナで受信・視聴可能な世帯が1520万世帯いる一方で、BS左旋を設備上受信可能なのは78万世帯に留まった。しかも、2022年7月までにこの左旋改修や電波漏洩策を施した集合住宅はわずか12万8000世帯。新築マンションでは最初から最新の受信設備を備えているが、その増加ペースは全国で年間6万~7万戸にすぎず、対応の原動力としては力不足だ。

ケーブルテレビはFTTHがほぼ前提

 BSやCSの番組をケーブルテレビなど有線経由で視聴している世帯も多い。これも、左旋の番組、特にBS8Kを視聴可能なのは、現状ではTOKAIケーブルネットワークなど、各戸まで光回線、すなわちFTTH(Fiber To The Home)でテレビ番組を伝送している事業者のサービスに事実上限定される。「HFC(Hybrid Fiber Coaxial)」と呼ばれる、途中までは光回線でも各戸へのアクセス回線には同軸ケーブルを使うケーブルテレビの場合、左旋の番組すべてを提供するのは容易ではない。特に8K番組は、セットトップボックス(STB)がまだ8Kに対応していないため、提供が難しいようだ。

 結果、2020年3月時点で左旋の番組を視聴可能なケーブルテレビや有線テレビサービスの加入者は約302万世帯と少ない。

 こうした背景から、テレビ番組の受信、伝送設備の点で左旋の番組を視聴可能なのは現時点でも500万世帯前後しかないと推定でき、その急速な拡大も容易ではない。これが、8Kテレビの普及にとっての大きな障壁になっている。