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商用化では韓国と米国が先行

 実証実験も世界各地で盛んになっている(図4)。着手が早かったのはドイツや中国だ。2022年になると欧州各地で実証実験が急増し、英国でのスポーツ中継やイタリアの有名な音楽祭の動画配信に用いられるなど、実績を着々と積み重ねている。中国も2022年2月に開催した北京冬季五輪で5Gブロードキャストの配信実験を目指した準備を進めていた。中国は実際に実験をしたかどうかについて明らかにしていないが、「5Gブロードキャストを受信する端末は中国でも開発済み」(ある放送関係者)だという。

図4 韓国や米国では2023年にも商用サービス開始へ
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図4 韓国や米国では2023年にも商用サービス開始へ
世界における5Gブロードキャストの実証実験(黄色)や商業サービス計画(水色)を示した。実証実験ではドイツや中国などが先行したが、商業化では韓国、米国が先んじる可能性が高い。スマートフォン風の受信端末も2022年2月末のスペイン以降、実験に使われるようになっている(出所:各社の発表を基に日経クロステックが作成)

 ただし、ドイツなどはまだ実用化への道筋を示せていない。その一方で、2023年にも5Gブロードキャストの商用サービスを始めるとする国・地域が出てきた。韓国と米国だ。これまで韓国の通信事業大手SK Telecomと米国の通信/放送事業大手Sinclair Broadcast Groupが共同で、5GブロードキャストとATSC 3.0の統合サービスの実験を進めてきており、それが両国で実用化する段階に入ってきた。

 両社の取り組みには韓国の国営放送事業者KBS(Korea Broadcasting System)や民間放送局の同MBS(Munhwa Broadcasting Corp.)、5Gシステムのベンダー同Samsung Electronics、ドローンのメーカーである同Doosan Mobility Innovation、さらには、韓国の文部科学省や総務省に相当する同Ministry of Science and ICTや同Korea Communications Commission(KCC)などがこぞって賛同、または協業している。

AIで2K映像を4Kに復号

 この取り組みにおける新しい試みは大きく2つある。1つは、深層学習ベースの超解像度技術とその復号ICの利用だ(図5)。この超解像度技術は、総務省が2022年6月に開催した「地上デジタル放送方式の高度化」を議論する放送システム委員会の会合で評価結果が示された「知的画像処理」に近いようだ。具体的には、2K映像として放送され、端末で受信した信号を専用の人工知能(AI)チップ「SAPEON」で4K映像に“復号”する。これなら、希少な電波資源を節約しながら、4K映像をテレビやモバイル端末で楽しめるようになる。

(a)サービスのイメージ
(a)サービスのイメージ
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(b)SAPEON X220。これはデータセンター向けで、消費電力は60W、処理速度は6700フレーム/秒だという。
(b)SAPEON X220。これはデータセンター向けで、消費電力は60W、処理速度は6700フレーム/秒だという。
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図5 韓国では次世代地デジと5Gブロードキャストの統合サービスが2023年にも開始へ
SK Telecomが開発したAI技術で2K映像を端末側で4Kに“復号”して視聴する(a)。大きなハングル文字は「地上波 次世代」の意。2つある大型ディスプレーは左側がAIによる“復号”前、右側が“復号”後の映像。そのAIチップの第1号「SAPEON X220」(b)。SAPEONは、「ホモサピエンス(人類)」と「永遠」を合わせた造語だとする(写真:SK Telecom)

 SAPEONはSK Telecomが開発したAIチップ。特徴は「価格がGPUの半額で深層学習の推論性能はGPUの1.5倍。消費電力はGPUより2割少ない」(同社)ことだという。2022年1月の米国での展示会「CES 2022」では、SK Telecom、半導体投資会社の韓国SK Square†††、半導体メモリー大手の同SK hynix(SKハイニックス)が共同で出資し、このAIチップの米国での販売会社「SAPEON」を設立したと発表した注5)。2022年中に量産を始める計画だ。

†††SK Square=2021年11月にSK Telecomから分離して発足した半導体や情報通信技術関連の投資会社。
注5)この韓国SK Groupの3社で、「SK ICT Alliance」を結成したことも同時に発表した。ICTは情報通信技術。

GPSの位置精度が10cmに

 新しい取り組みのもう1つは、GPSの強化サービス「enhanced GPS(eGPS)」の提供だ。これは、ATSC 3.0と5Gブロードキャストの統合システムを使って、ドローンなどにGPSの位置情報の補正情報を送ることで、非常に正確な位置情報を提供するサービスである。「GPSの位置精度はこれまでの1~2mから10cmへと劇的に高まる」(SK Telecom)。ドローンには例えば、Doosanの燃料電池駆動のドローンを利用するという。

 システム上、ATSC 3.0と5Gブロードキャストをどのように統合、あるいは使い分けているのかは明らかにしていない。ただ、電波としてはATSC 3.0向けの無線周波数を使っているとする。

 韓国や米国では、欧州のようにUHF帯に5Gブロードキャスト向けの無線周波数を確保するというよりは、広く普及しつつあるATSC 3.0向けの無線周波数を5Gブロードキャストにも流用していこうとしているもようだ。

商用サービス向け装置も続々

 5Gブロードキャストの商用化が近づく中、機器ベンダーも商用を想定した半導体や無線装置をそろえつつある(図6)。

(a)Qualcomm製5Gブロードキャスト受信端末
(a)Qualcomm製5Gブロードキャスト受信端末
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(b)Rohde&Schwarz製5Gブロードキャストの中継/制御・送信システム
(b)Rohde&Schwarz製5Gブロードキャストの中継/制御・送信システム
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(c)Saankhya Labs製 の小セル(LPLT)向け無線送信機
(c)Saankhya Labs製 の小セル(LPLT)向け無線送信機
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図6 動作する受信端末や送信システムも登場
現時点で動作する5Gブロードキャスト関連機器。Qualcommが開発したスマートフォン風受信端末(a)。タッチパネルで拡大する映像を選択できる。各地の実証実験で使われている。この端末に映像を“放送”可能なのが、 Rohde&Schwarz製の5Gブロードキャスト用システム(b)。3台の機器から成り、上から無線送信機、ベースバンド変調機器、マルチキャスト用中継機器「BSCC(Broadcast Service and Control Center)」。このBSCCで放送コンテンツを各無線送信機にマルチキャストする。Saankhya Labs製の無線送信機はFeMBMSのほかにいくつかの次世代地上デジタル放送の規格にも準拠している(c)。同社は韓国や米国で近い将来のサービス提供を計画するSinclair Broadcast Groupと、この無線送信機器提供で契約した(写真:(a)と(b)は日経クロステック、(c)はSaankhya Labs)

 まず、Qualcommは5Gブロードキャストの“放送”を受信できるチップやスマートフォン風の端末を開発した。この端末は2022年になって各地の実証実験で使われている。同社は10年以上前からMBMSやMediaFloなど移動通信端末向けの“放送”に関する技術開発を進めてきており、その成果がここへきて実りつつある。

放送と通信のベンダーも協業

 このQualcommと共同戦線を張るのがRohde&Schwarzだ。同社が提供するのは、放送システムと通信ネットワークの間に設置して、放送コンテンツを各無線基地局などにマルチキャストするルーターや基地局での送信システムなど。

 Rohde&Schwarzは日本では計測機器メーカーという印象が強いが、実は世界では放送システム大手としても知られている。今回は、その放送システム大手が無線通信向け半導体大手のQualcommと組んだ格好で、それが放送と通信が融合した5Gブロードキャストの位置付けを分かりやすく示している。

 この他にも5Gブロードキャスト向けの装置を開発するメーカーが次第に増えてきた。2020年には、インドの半導体メーカーであるSaankhya LabsとSinclar Broadcast Groupの子会社米ONE Media 3.0が、ATSC 3.0と5Gブロードキャスト(FeMBMS)の統合システムの開発で提携。現在は既にその無線送信装置をソフトウエア無線技術ベースで開発済みで、米国のFederal Communications Commission(FCC、米国連邦通信委員会)の認可も取得済みだとする。

日本でも“再来航”の可能性

 こうした世界の動きに日本はすっかり取り残されている。総務省は2020~2021年に、地上デジタル放送の高度化を検討する放送システム委員会で、FeMBMSや5Gブロードキャストも議論の俎上(そじょう)に載せた。しかし、「結局は通信ベースの技術で放送用としては時期尚早」(総務省)として次世代地デジの候補から外した経緯がある。いったんは“黒船”を追い返した格好だ。

 しかし、検討中の次世代地デジ自体、総務省は具体的な移行プログラムもまだ示さず、本気で移行を進める気が果たしてあるのかどうかも不明なままである。このまま移行が始まらない可能性もある。その場合は、「映像配信の主役はインターネットに移行し、地上テレビ放送は今のラジオのようなニッチメディアに転落する」(あるSNS利用者)という見方も出てきた。

 こうした中、放送システムの関係者の中には、海外で進むこの5Gブロードキャストの台頭が、将来的に日本に波及する可能性を指摘する人もいる。既に国内でも、LTEベースのeMBMSやローカル5G向けの装置/端末を流用して、疑似的な5Gブロードキャストのシステムを構築する営電のようなメーカーが現れている(図7)。Rohde&Schwarzも、ごく最近になって5Gブロードキャスト向けシステムに興味を示す日本企業が増えてきているとする。

図7 eMBMSとローカル5Gで実験
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図7 eMBMSとローカル5Gで実験
営電が構築した、5Gブロードキャストを疑似的に再現したシステム。実際には、LTEのeMBMSベースで、しかもローカル5Gベースのシステムを利用した。受信端末はFCNT製のスマートフォン型が1台と、フランスAmarisoft製の端末シミュレーター「UE Simbox 1」。基地局もAmarisoft製の「Callbox」。マルチキャスト用のサーバー機器も利用した。この動作デモでは、無線部分は有線で接続している(写真:日経クロステック)

通信事業者が放送をのみ込む?

 5Gブロードキャスト事業の主役は、放送事業者ではなく、移動通信事業者になる可能性が高い。半ば“斜陽産業”になって、新システムの導入などが難しくなりつつある放送事業者と違って、まだ成長の余地があり、新規投資にも比較的余裕があるからだ。国内の放送事業者にとっては、海外発かつ移動通信発という2重の意味での“黒船”になる。

 5Gブロードキャストでは放送技術の更新時にネックになりがちな屋外アンテナやケーブル設備の変更も不要な可能性が高く、利用者が対応端末を買えば即視聴可能になる。こうした身軽さも考慮すると、将来、5Gブロードキャストが地デジの事実上の後継技術になる可能性は否定できない。