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 2021年2月に始まった新型コロナウイルスワクチンの接種は、政府が緊急に短期間で開発した2つの情報システムが重要な役割を果たした。どちらも機能の改善を繰り返すことで、最高で1日170万回超という接種の業務を下支えした。

 ただし想定を超えた事態を受けてシステムの一部機能を断念し、十分な代替策も取れず混乱を招いた局面があった。厚生労働省がワクチン配送の調整・管理に用いた「ワクチン接種円滑化システム(V-SYS)」は、当初は会場にあるワクチン在庫を把握する機能が使えたが、後の運用変更に伴いその機能が失われた。ワクチン接種記録を管理する「ワクチン接種記録システム(VRS)」は全国の接種実績をリアルタイムに集計するために導入したが、自治体によっては実績数を正確かつリアルタイムに集計できなかった。

 2021年7月、政府が地方自治体に割り当てた米ファイザー製ワクチンの供給ペースが6月に対し3割減ってワクチン不足に陥った局面では、両システムをもってしても接種会場にある余剰在庫を把握できない事態になったことで、割り当てが減った自治体から不満が噴出した。

 これらの失敗から、次に生かす教訓をどう引き出すか。混乱の要因を検証する。

河野太郎ワクチン担当相(当時)は2021年7月、ワクチンの不足を受けて、市区町村にあると推定できる在庫に基づいて供給量を絞る方針を公表。絞る算定根拠などに自治体から反発が相次いだ
河野太郎ワクチン担当相(当時)は2021年7月、ワクチンの不足を受けて、市区町村にあると推定できる在庫に基づいて供給量を絞る方針を公表。絞る算定根拠などに自治体から反発が相次いだ
(写真:日経クロステック)
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想定通りワクチンは速やかに追跡

 厚労省は2020年秋からV-SYSの設計を進め、ワクチンの流通と接種に関わる必要な情報を一通り把握できる想定で仕様をつくり、2021年2月に本稼働させた。国から医療機関や接種会場に届けた全てのワクチンと、そこからさらに小分け配送されたワクチンについて、その種類と製造ロット、数量をV-SYSで管理する仕様にしたのだ。これによりワクチンの配送に関わるトレーサビリティーは確保される。接種会場から毎日の接種実績数や廃棄数をV-SYSに入力してもらうことで、配送数量からこれらの数量を引いた数を在庫と推定できるようになる。

 ただし2021年4月には、地方自治体についてはV-SYSで各会場の担当者が接種実績数を入力する運用は廃止した。政府が重視した日々の接種実績数の速報は、接種記録を管理するVRSが本稼働したことで、VRSの集計数がベースとして採用されたからだ。接種現場の負担軽減に配慮し、入力業務を減らす狙いもあった。

 ワクチン配送のトレーサビリティーを確保したことは、2021年8〜9月にかけて、ワクチンへの異物混入が判明した際に役立った。同年8月末に米モデルナ製のワクチンでステンレスの異物混入が判明した際には、メーカーが報告した該当ロットをもとに、V-SYSを通じて配送先の会場や配送日を直ちに特定できた。

 一方、個人が接種したワクチンのロット番号はVRSで管理しており、入力が済んでいた接種者の分については接種した人がいたかどうかの追跡に役立った。2021年9月、ファイザー製ワクチンで浮遊物の混入が確認された際にも、該当するロット番号に基づき接種した人の追跡が速やかに行われている。

 しかしこの2021年8~9月頃には既に、ワクチン配送のトレーサビリティーはV-SYS単体では完結しにくくなっていた。接種を加速させるため、診療所や接種会場で余ったワクチンを柔軟に融通し合う運用が始まっていたからだ。

 こうした診療所・会場間の融通はV-SYSの設計時には想定していなかったことから、当時は手作業で管理していた。異物が混入したワクチンをV-SYSの情報で速やかに追跡できたのは、国が配送してからメーカーが報告するまでの期間が比較的短く、広く融通される前だったことも幸いした。

システムを使わずワクチン融通、「接種の加速が重要」

 厚労省はワクチン配送に関わるトレーサビリティーを確保するため、2021年2月に接種が始まった当初は医療機関などに配送したワクチンの再分配を1回までに限定するルールを設けていた。使用量が少ない診療所などに対し、使用量が大きい医療機関や会場から再分配できる。その際に分配元と再分配先の接種場所はV-SYSにあらかじめ登録し、どのロットと数量を配送したかも管理する。

接種会場の間でワクチンの融通を管理する東京都港区での運用例。同区はV-SYSに実装された機能を使っているが、自治体によっては別の仕組みを使っている。このためV-SYS単体での在庫推定は難しくなった。
接種会場の間でワクチンの融通を管理する東京都港区での運用例。同区はV-SYSに実装された機能を使っているが、自治体によっては別の仕組みを使っている。このためV-SYS単体での在庫推定は難しくなった。
(写真:東京都港区の許可を得て日経クロステックが撮影)
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 これに対して、ワクチン流通をより柔軟にするため、横の関係にある診療所や会場同士でワクチンを融通できるよう指示をしたのは、河野太郎ワクチン担当相だ。「接種を加速するには、当初の配送ルールを守るよりもワクチン流通をより柔軟にすべきだ」と厚労省に運用の見直しを求めた。受け入れた厚労省が2021年7月に自治体に対し、融通によりワクチンを再配送できる回数の制限をなくすなど、より柔軟な融通方法を通達した。

 地方自治体からも見直しを求める声が出ていた。神奈川県の担当者は「厚労省のルールは厳格すぎて、ワクチンの遍在が生じていた。融通できる範囲が広がったことで、市町村の間や接種会場の間で実際に余ったワクチンを有効活用しやすくなった」(医療危機対策本部ワクチン接種担当課)と振り返る。

 ただしワクチン配送のトレーサビリティーは引き続き確保する必要がある。厚労省はワクチンの融通を認める代わりに、融通したロットなどの実績は、市区町村から都道府県に報告し、独自に管理するよう必要な情報や書類様式も定めて通達した。例えば、神奈川県は市町村のワクチン担当者向けのWebフォームを設けて、融通した結果を集計するようにした。

 厚労省はV-SYSの入力欄が利用できる範囲で、融通に関する一部情報の入力を自治体や接種会場などに求めた。その後、融通した実績を都道府県や市区町村が管理できる機能もV-SYSに実装した。ただし全体としては、V-SYSだけでは配送のトレーサビリティーが完結しない運用となった。

 こうした運用によって同時に失われたのが、会場ごとに使い残したワクチン在庫を見える化する機能だ。ワクチンの融通をV-SYSの配送量管理とは別の枠組みで管理するようになったため、接種会場や医療機関にある在庫を推定できなくなった。

 V-SYSの開発当初より、ワクチンの横の融通を認める前提で業務やシステムを設計していたほうが、V-SYSを通じた配送のトレーサビリティーの確保や会場ごとの在庫量の可視化もしやすかっただろう。接種現場の実情や接種拡大期に何が起こりえるかの想定を広げていれば、配送システムでもその準備ができた可能性がある。この点は、厚労省が配送業務とシステムを構想した上流工程における誤算といえる。