1990年代に商用化されて以降、グローバルで単一のネットワークとして世界で大きな発展を遂げてきたインターネット。そのインターネットの根幹を支える仕組みが「IP(インターネットプロトコル)」だ。IPはインターネットでデータをやり取りするための手順を定めており、1970年代に基本的な仕組みが開発された。
IPの仕組みは非常にシンプルだ。「ヘッダー」といわれる先頭部分にデータの送信元と送信先の住所に当たるIPアドレスをそれぞれ記載する。その後ろの「ペイロード」と呼ばれる部分に、送受信するデータを格納する。これらのデータは「パケット」と呼ばれる通信単位ごとに小分けされ、宛先のIPアドレスに向けて、ルーターと呼ばれる機器がバケツリレー方式で転送する。これがインターネットの基本的な仕組みだ。
IPの基本思想は、「どこかで機器が壊れても、なんとしてもつなぐ」という機能に徹している点だ。速度保証ができない「ベストエフォート」の通信となるが、機器が壊れても自動的に経路を迂回することで、粘り強く通信を確立する。ネットワークを信頼せず、ネットワークに必要な機能をシンプルにする代わりに、端末側を賢くするというのがIP、そしてインターネットの基本思想だ。このようなIPの思想が、どんな環境でも受け入れられる裾野の広さを生み、世界にこれだけインターネットが広がった原動力であるといえる。
ただIPの基本的な仕組みが登場してから半世紀近くが過ぎ、IPの仕組みの限界も指摘されるようになってきた。インターネットのアプリケーションが多様になり、ロボットの制御や自動運転のアシストなども視野に入るなか、速度保証できないIPがボトルネックになっているという指摘もある。そもそもIPは仕組み上、セキュリティーについても十分に考慮されていない。
過去何度かIPを根本から作り替えて、インターネットをまっさらな「クリーンスレート」の状態でつくり直そうという動きが登場してきた。しかしそのたびに、世界へと広がったIPの巨大なエコシステムを前にして、消え去ることが繰り返されてきた。
だが2019年に中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)が中心となって国際電気通信連合(ITU)に提案した、その名も「New IP」は、その存在が明らかになってから3年が過ぎた現在も世界に物議を醸し続けている。インターネットの根幹が、「IP」と「New IP」という技術仕様によって分裂していくのか。世界は過去にない大きな局面に差し掛かっている。
3つの機能を追加した「New IP」
New IPとは、ファーウェイとファーウェイの関連会社で米国の研究部門であるFuturewei Technologies(フューチャーウェイテクノロジーズ、以下、フューチャーウェイ)が中心となって推進する、IPを進化させた新たなインターネットプロトコルである。ファーウェイは2019年9月、中国の通信事業者である中国移動通信(チャイナモバイル)や中国聯合網絡通信(チャイナユニコム)、中国工業情報化部(経済産業省に相当)と共に、ITUに対してNew IPを提案した。中国政府とNew IPの関係性は不明ながら、これだけ中国企業が参画していることから、中国政府のバックアップがあることは間違いないだろう。
現状でファーウェイなどはNew IPの完全な仕様を公開していない。だが、ファーウェイがITUでプレゼンした資料や、米国の学会・標準化団体であるIEEE(米電気電子学会)に提出した招待論文などから、New IPの基本的なコンセプトや技術的なポイントを知ることができる。
これらの資料から見えるNew IPの狙いは、ロボットの協調制御やスマート農業、クラウドによる自動運転のアシスト、ホログラフィック通信など2030年に向けて登場する見込みの多様なアプリケーションに応じて、現在のIPがボトルネックにならないように進化させることである。
例えば、複数のロボットを協調制御させるような産業向け通信を考えてみよう。ロボットをそれぞれ協調して動作させるためには、制御のためのデータが、決まった時間内に正確に到着する必要がある。現在のベストエフォート型のインターネットはいつデータが到着するのか保証できず、ロボットの協調制御のようなアプリケーションの実現は難しい。New IPは、こうした新たなアプリケーションの要件を満たすために、既存のIPのヘッダーとペイロードの間に、「コントラクト(契約)仕様」という新たなフィールドを設ける。
コントラクト仕様のフィールドでは、(1)指定した時間(t)までにパケットを配送(2)決められた期間内(tからt’の時間内)にパケットを配送(3)パケットをロスしないようにあらゆる手段で配送(4)エンド・ツー・エンドのサービスを保証するためにパケットのフローを追跡ーーといった細かな制御を指定できる。郵便に例えれば、これまでのIPがいつ届けられるのかわからない普通郵便だとすれば、New IPは速達や追跡機能付きの郵便サービスと考えればよいだろう。
New IPではインターネットの住所に当たるIPアドレスも、現在のIPv4やIPv6のような決められた固定長ではなく、可変長にして長さを変えられるようにする。モノのインターネットで使うような低消費電力、小メモリー容量のデバイスでIPv6のような長いアドレスを利用すると、それだけでメモリー量を消費してしまい、消費電力的に効率が悪い。より短いIPアドレスを利用するほうが効率が良い。
2030年に向けて、衛星通信と地上のインターネットも本格的に統合されていくだろう。衛星通信との統合を考える場合、経度や緯度と関連付けたIPアドレスを使ったほうが、何かと好都合といわれる。ファーウェイは、将来のインターネットは単一ではなく、異種ネットワークがシームレスに共存する「ManyNets」の状態になると主張する。ManyNetsの時代には、可変長でフレキシブルなIPアドレスが必要になるというのが、New IPの考え方である。
New IPは、送受信するデータを格納するペイロード部分にも拡張を加える。例えばネットワークが混雑した場合、ペイロードに格納したデータから、まずは優先度が高い部分だけをタイムリーに通信できるような機能を追加する。これによってネットワーク全体のスループットの改善や遅延解消につながるとするとしている。