会社には仕事ができる人ばかりでなく、言い方は悪いですがぱっとしない人も必ずいます。組織単位で見ても、勢いがあって輝いている部門とそうではない部門があります。
品質不正防止の第1条は「日陰の人に光を」です。ここで言う「日陰の人」とはぱっとしない人や輝いているとは言い難い部門の人のことです。日陰の反対には日なたがあり、経営者や輝いている部門の人は日なたの人といえます。日の当たらない人たちに光を当てるというのは、彼らにも活躍のチャンスがあるべきだという意味です。
もちろん経営者や管理職は、ぱっとしない人たちも生かしたいと考えているでしょう。しかし、第1条で訴えたいのはそういう意味ではなく、社内の様々な格差を固定させないのが重要だということです。その理由は、品質不正の深刻な背景として、社内格差が横たわっているからです。
品質不正と社内格差
自動車メーカーの品質不正がなかなか絶えません。その1つであるスズキの燃費・排ガス測定での検査不正は、無資格者検査などもあって、全体で200万台規模のリコールに拡大した大きな事件でした。同社の調査報告書は自社の検査体制の弱さを次のように指摘しています1)。
[1]検査員が慢性的に不足している
[2]検査に充てる作業時間に余裕がない
[3]製造工程の設備に比べて検査設備の更新頻度が低い
同社の検査部門は体力と設備の両面で経営資源が不十分だったといえます。相対的に考えると、製造部門が経営資源に恵まれているのです。検査部門がこの配分格差を受け入れていたのは、発言力が弱かったからではないでしょうか。
そのような職場では、なにかと優遇されている部門がそうでない部門を見下しがちになります。実際、調査報告書には次のような趣旨の記述があります。
[4]コストセンターである間接部門(検査部門など)は無駄と評されていた。
[5]完成検査は無駄な業務との風潮があり、検査課は他部門に対して毅然とした対応ができない
[6] 部長級以上に登用されるのは開発と生産部門の出身者が多く、完成検査部門の経験者は多くない
「無駄」という言い方は存在を否定する考え方の表れです。このことから[5]には検査部門を無駄とみなすことによって、発言力をそごうとする意図が透けて見えます(図1)。
スズキに限らず、品質に問題がある製品を造っている現場にとって、検査部門は目障りな存在です。検査の発言力をそぐために検査を無駄と言っているのなら、許してはならない言動です。
[6]からは、スズキにおける製造と検査の格差が、経営資源だけではなく、キャリアにもあると分かります。このような企業では、検査部門の人にとって、製造部門の人は将来の上司なので、検査部門の人は製造部門の人に忖度(そんたく)するようになります。
従って同社では生産重視の経営方針が現場で増幅され、検査部門を軽視する風土があったといえます。検査部門の発言力が弱いと、言うべきことを言えなくなるので、品質不正を防止できません(図2)。