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 長崎県南東部の島原半島に位置する島原市。西に雲仙岳、東に有明海を望む風光明媚(めいび)なこの街で、市民に衝撃を与える出来事が起きたのは2021年5月のことだった。島原半島一円で路線バス事業を担う唯一の民間事業者である島原鉄道が、市内で運行する6路線18系統の路線バスを同年9月末に廃止する方針を発表したのだ。

 中長距離路線など一部を除き、市内の鉄道駅や住宅地などを結ぶほとんどの路線が姿を消すことになる。人口減少や少子高齢化による乗客減、車両の老朽化や運転者不足の慢性化といった苦境が重なり、新型コロナウイルス感染症による収支の悪化が決定打となった。

「交通難民」の危機救ったAIオンデマンド

 島原鉄道から島原市へ内々に路線廃止の意向が寄せられたのは、2021年5月の発表に先立つ同年3月ごろだった。島原市で交通政策を担う松尾泰明政策企画課交通政策班班長は、かねて市内を本拠とする同社の経営の厳しさを見聞きしてはいたものの、「これほどに早く廃止になるとは思っていなかった」と振り返る。

 6路線18系統もの路線バスが一挙に廃止となれば、自家用車などを持たない住民が交通難民となりかねない危機的な状況だ。ただ、幸い島原市には光明があった。たまたま廃止の打診があったのと同じ2021年3月ごろに、「AIオンデマンド交通」を市内へ導入する方針を固めたところだったのだ。路線バスやコミュニティーバスのように決まった路線や時刻表がなく、事前予約を前提として同時間帯に同方向へ向かう乗客をAI(人工知能)がマッチングする乗り合い制の公共交通だ。

 停留所の設置や地元のタクシー会社への運行委託などで協力を取り付け、島原鉄道が路線バスを廃止した翌日の10月1日にAIオンデマンド交通「予約・あいのり・たしろ号」の運行を開始。多くの市民が交通難民となる事態を回避できた。

島原市内を走るAIオンデマンド交通「予約・あいのり・たしろ号」のワゴン車。定時・定路線のコミュニティーバスで使っていたものを転用した。10人乗りのため普通2種免許で運転可能だ
島原市内を走るAIオンデマンド交通「予約・あいのり・たしろ号」のワゴン車。定時・定路線のコミュニティーバスで使っていたものを転用した。10人乗りのため普通2種免許で運転可能だ
(写真:島原市)
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乗客数、年700人から単月2900人に

 島原市は2020年3月からワゴン車7台を活用し、島原鉄道の路線バスが走らないエリア向けに定時・定路線のコミュニティーバス「たしろ号」を運行していた。このコミュニティーバスの運行形態をAIオンデマンド交通へ切り替える形を採り、ワゴン車7台を確保した。

 運行は市内に7社あるタクシー会社に1台ずつ委託。平日は午前、午後それぞれ4台が運行する体制とした。「路線バスの廃止を受け、自分たちが市民の生活の足を守らねばと各社から協力を得られた」(松尾班長)。

 運行エリアは市内全域で、運賃はコミュニティーバスと同じ大人200円均一とした。ただ、南北に広い島原市内を200円で縦断できるとなるとタクシーや路線バスより大幅に安くなってしまう。そのため、運行エリアを中心部~南部と中心部~北部の2つに分割している。

「予約・あいのり・たしろ号」の停留所マップ。市内全域におおむね300メートル間隔で配置した。乗客は乗降停留所を自由に選択して予約できるが、南部~北部を移動する際は中心部での乗り換えが必要だ
「予約・あいのり・たしろ号」の停留所マップ。市内全域におおむね300メートル間隔で配置した。乗客は乗降停留所を自由に選択して予約できるが、南部~北部を移動する際は中心部での乗り換えが必要だ
(画像:島原市の資料を日経クロステックがキャプチャー)
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 高齢者などもAIオンデマンド交通を利用しやすいよう、停留所は市内全域におおむね300メートル間隔で設置しており、2022年10月時点で256カ所に上る。既存の路線バスやコミュニティーバスの停留所を流用しつつ、松尾班長らが市内のコンビニエンスストアやドラッグストアなどを行脚して、約80~90カ所の停留所新設に1カ月ほどでめどを付けた。

 AIオンデマンド交通を展開するうえで不可欠なのは、運行効率が最も良くなるよう多数の予約から相乗りの組み合わせや運行ルートを導き出す運行管理システムだ。島原市が採用したのはアイシンの「チョイソコ」。価格体系などのほか「長崎県内ではチョイソコを選定する自治体が多い」(松尾班長)ことなどを考慮した。予約はWebサイトと電話の2通りで受け付け、電話予約のコールセンター業務は島原鉄道に委託している。

「予約・あいのり・たしろ号」のWeb予約画面。運行管理システムはアイシンの「チョイソコ」を採用
「予約・あいのり・たしろ号」のWeb予約画面。運行管理システムはアイシンの「チョイソコ」を採用
(画像:予約画面を日経クロステックがキャプチャー)
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 こうして運行開始にこぎ着けたAIオンデマンド交通。開始初月となる2021年10月の利用者数は単月で2944人となった。コミュニティーバスの利用者数は2020年度に年間で704人だったのに対し大幅に増加した。その後も運転免許の返納者にパンフレットを渡すなどの取り組みを続け、「評判が徐々に広がってきており、今は知らない人はあまりいない」(松尾班長)。

 最近では平日を中心に予約が取りづらくなる時間帯もあるといい、比較的利用の少ない日曜の運行台数を平日午後に振り向けるなどの対策を取っている。路線バスの廃止という窮地に登板したAIオンデマンド交通が、新たな市民の生活の足として定着しつつある。