チーフエンジニア時代に、トヨタ自動車の佐藤恒治新社長は高級2ドアクーペ「レクサスLC500」を開発した。このクルマを開発する際に、佐藤氏は悔しさをばねにしたという。その前に開発主査として手掛けた高級セダン「レクサスGS」がモータージャーナリストから酷評されたからだ。「我々は『レクサスLS400(=初代レクサス)』が登場した時の衝撃を覚えている。なぜ今のトヨタはあの感動を与えてくれるクルマを造れないのか」と。
当時、世界中のモータージャーナリストから絶賛されたという初代レクサスは、今から30年以上前の1989年に米国市場に投入された。発売されるや否や、欧州の高級車を押しのける販売を記録した。この初代レクサスの開発において車両担当主査(現チーフエンジニア)の“右腕(ナンバー2である主担当員)”として、コンセプトづくりから新車発表に至るまでの全てを手掛けた「伝説の技術者」が、櫻井克夫氏だ。同氏は高級車「センチュリー」の車両担当主査を務めた経験も持つ。
佐藤新社長と同じく製品企画室の「Z」チーム出身で、かつチーフエンジニア出身でもある櫻井氏に、トヨタ自動車のクルマづくりの現状や新社長交代について率直な意見を聞いた。
初代レクサスを超えられない理由
佐藤新社長が開発主査だった際に、モータージャーナリストから「トヨタはなぜ初代レクサスのような素晴らしいクルマを造れないのか」と言われて酷評された経験があると聞きます。初代レクサスの登場は、それまで高級車市場をリードしてきたドイツMercedes-Benz(メルセデス・ベンツ)を焦らせました。現に、そこまでのクルマは、初代レクサスの他にトヨタ車にも日本車にもないという声があるほどです。なぜ、初代レクサスを超えるクルマがトヨタ自動車からなかなか出てこないのでしょうか。
櫻井氏:それは、本気になって世界一のクルマを生み出そうとしないからだろう。初代レクサスの開発目標はものすごく高かった。なぜなら、当時世界一だったMercedes-Benzの旗艦車である「Sクラス」、具体的には高級セダン「380SE」に勝つというのを開発目標に設定したからだ。380SEと同水準に並ぶのではなく、明確にそれを超えるクルマである。
初代レクサスには2人の車両担当主査がいた。企画段階は神保昇二さん、商品化段階は鈴木一郎さんだった。新車の開発では最初に「主査構想書」を作成する。これは、どのようなクルマにするかというコンセプトから、体格(大きさ)や排気量、車両構成といった主要な仕様、重点開発項目、販売市場、台数、開発大日程などまで車両を造る上で必要な要素の全てを具体的に記したものだ。
当時、神保さんは発売後「ハイソカー」と呼ばれた「マークⅡ」系3姉妹車の新型車の担当主査を務めていてとても忙しく、神保さんに任された私は、新プレステージ車(=初代レクサス)の主査構想書の中身を9割くらい書いた。神保さんは、最新の技術を結集して欧州高級車に比肩する性能と品質を持つクルマを造り、世界の高級車市場に本格的に参入すると記し、「知的で人間尊重」を狙いとした。私の思いは380SEを超えて世界一のクルマを生み出すことだった。後任の鈴木さんは「源流対策と最適化」を徹底的に追求した。
最初から世界一を狙っていたのですか。
櫻井氏:実は、商品企画室はそうではなかった。高級車市場は上からハイ、ミドル、ローの3つのクラスに分かれており、それぞれにMercedes-BenzはSクラス、「Cクラス(コンパクト)」、そして「190 E」(日本では小ベンツとも呼ばれた)を投入していた。これに対し、トヨタ自動車はロークラスに「クレシーダ(=マークⅡの輸出車名)」という製品しか持っていなかった。当時のトヨタ自動車は大衆車メーカーの域を脱していなかったのだ。
米国は高級車市場が伸びており、それに合わせてトヨタ自動車はミドルクラスへの新車投入を考えていた。商品企画室がCクラスやドイツBMW「5シリーズ」対抗車を考えるのは発想としては自然だった。具体的な車両企画はクレシーダの担当主査の神保さんに降りてきた。
だが、私はひそかに反発した。「真ん中のクルマなんか造ってどうするのか。やるなら世界で一番のクルマだ」と。そして、当時Mercedes-Benzの最高のクルマだった380SEを“仮想敵”と見なし、新プレステージ車(=初代レクサス)の主査構想書を書いたのだ。
なお、初代レクサスの開発コードは「380D」だった。開発コードは技術管理部が厳密に管理しており、順番に機械的に割り振られる。初代「クラウン」は26A、初代「カローラ」は179A、初代「ターセル/コルサ」〔トヨタ自動車初のFF(前部エンジン・前輪駆動)車〕は30Bだった。初代レクサスの開発コードは本来なら237Dだった。だが、私はこれを先行試作車として、380Dの順番が来るのを待った。毎週のように技術管理部に確認し、そのたびに「380Dはこの新プレステージ車(=初代レクサス)にするからな」と言って、その開発コードを取得した。これはもちろん、仮想敵であるMercedes-Benzの380SEと同じ名前(=開発コード)にしたかったからだ。そこまでこだわっていたのである。