海を越えて水素を運べる世界初の船である「すいそ ふろんてぃあ」。川崎重工業(以下、川崎重工)の社内でその開発が本格化したのは2010年代前半のことだった。-253℃を維持し、水素を液化状態で保つ貯蔵タンクの構造には大いに頭を悩ませたが、苦心惨憺(くしんさんたん)の末に船舶用タンクとして異例の「真空断熱」に活路を見いだした。
「駄目だ、駄目だ! こんな材料は使い物にならん」
真空断熱というアイデアによってプロジェクトをようやく一歩進めた「すいそ ふろんてぃあ」の開発チーム。だが、一難去ってまた一難。さらに分厚い壁が彼らの前に立ち塞がった。真空断熱に決めたのはよいものの、タンクの開発に構造に起因する別の課題が噴出したのである。メンバーから提案された材料の評価を問われ、開発リーダーの村岸治は思わず声を荒らげた。
真空断熱は2重構造になった容器の外側容器(外槽)と内側容器(内槽)の間を真空にする技術だ。真空は熱を伝導しない。そのため、内槽は真空に守られる形となり、極めて高い断熱性を実現できる。これなら-253℃の液化水素も船で運べるはずだ。
だが、タンクの設計は一向に進まない。開発チームの頭を悩ませたのは、内槽の支え方だ。真空断熱のアイデアは、確かに理想的な断熱を図れる。だが、それは内槽が宙に浮いていれば、だ。現実の内槽は宙に浮かせるわけがなく、何らかの支持体によって物理的に支えなければならない。実際、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)に設置した真空断熱の液化水素貯蔵タンクは、何本ものステンレス鋼製の棒を使って外槽から内槽を吊(つ)っていた。だが、同じ構造を船には使えない。船体は常に揺れ動き、ひどいときには横に45度(°)も傾くことがあるからだ。これでは内槽は損傷し、支持体は疲労で壊れてしまう。
開発チームは口角泡を飛ばす議論の末に、支持体を使って下から内槽を持ち上げる方式を検討することにした。だが、すぐにまた厚い壁に直面した。「支持体の材料に何を使うか」である。支持体は熱の通り道になる。例えば支持体に熱伝導率の高いアルミニウム合金などを選べば、あっという間に外部の熱がタンク内に伝わり、液化水素を保持する-253℃の空間が台無しになってしまう。
あれも駄目、これも駄目
(あれも駄目、これも駄目、駄目、駄目、駄目。使える材料なんてどこにあるんだ)
支持体の材料の選びに日々奔走していた浦口良介は、いくら探しても最適な材料が見つからないことに、いらだちを覚えていた。浦口は材料の研究者として開発メンバーに抜擢(ばってき)されていた、材料のスペシャリストだ。
その専門家をもってしても、支持体の材料探しは困難を極めた。要求される条件が厳しすぎるのだ。支持体に求められるのは熱伝導率の低さだけではない。内槽を支えるだけの強度、真空への耐性、極低温から常温までどの温度でも使える材料特性……。あらゆる項目で合格点を取れる材料を見つけ出さなければならなかったのだ。支持体の材料選定は今や開発チーム全体にとって最優先で乗り越えるべき問題となっていた。
「ええい、奇想天外な材料でも構わない。とにかく試してみよう」
課題を解決すべく支持構造部材を検討するワーキンググループ(WG)が立ち上がった。ここに浦口を筆頭に、船舶や構造部材、防熱などそれぞれ得意分野を持つ技術者10人強が結集。議論と検証を繰り返す日々が始まった。
WGは思いつくままにありったけの材料を洗い出した。各種金属は強度を満たすものの熱伝導率が論外だ。プラスチックも幾つか調べたが、断熱性能がいま一つだった。それならば、コンクリートはどうか。試してみると、熱伝導率や強度は及第点。だが、真空との相性が悪い。液化天然ガス(LNG)船の支持部材として実績のある木も一瞬有望かと思われたが、内部からガスが発生して真空を損ねてしまう。
新しい材料を用意しては試験し、性能を表に記録する。そんな作業を四六時中繰り返すうちに、試した材料は30種類近くにも及んだ。それでも、「低熱伝導率」「高強度」「真空への耐性」「広範囲の温度特性」の“四拍子”を満たす材料は出てこなかった。
(そんな都合のいい材料なんて存在しないのでは……)
材料に詳しい浦口も、さすがに今回ばかりは音を上げそうになった。そんな弱気になった自分自身を叱りつけ、もう一度、何か見落としている材料がないかとウンウンと頭を振り絞った。すると、いつも親しんでいた、ある材料が脳裏をかすめた。
(そういえば材料研究部で研究していたあれを試していないな。あれはどうだろう)