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 2000年代前半に社会を揺るがす事態を招いたファイル交換ソフト「Winny」。その開発者である故金子勇氏を主人公とする映画『Winny』が、2023年3月10日からTOHOシネマズほか全国で公開される。2000年前半は今につながるネット文化の黎明(れいめい)期。ADSLや3G携帯電話の普及が始まり、誰もがブロードバンドでネットを楽しめるようになっていた。同時に「ネット発」の事象が現実社会にさまざまな影響を及ぼし始めた時期でもあった。Winnyの開発と熱狂、そして金子氏の逮捕と有罪判決は、著作権侵害や違法コピー、データの共有やソフトウエア、サービスの倫理観など現在につながるさまざまな課題を世間に知らしめた事件であり、「あの時代」を象徴する出来事の1つなのは間違いない。

 今回はSFや特撮、アニメーション映画に詳しいライターで作家の平井太郎氏に映画『Winny』で呼び起こされた「あの頃」を語ってもらった。

写真:(C)2023映画「Winny」製作委員会
写真:(C)2023映画「Winny」製作委員会
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 映画『Winny』の試写を見て原稿を書いてくれませんか――。

 そういわれて試写室に赴き、座って映画が始まった瞬間、私の心は90年代の終わりまで一瞬で戻っていた。

私が入り浸っていた濃密な「アングラコミュニティー」

 90年代後半、私はそれ以前に勤めていたメーカー時代の同僚の紹介で、とあるアンダーグラウンドコミュニティーに入り浸っていた。何人かのサーバー主(「鯖管:さばかん」と呼ばれていた)がそれぞれ自宅で専用のサーバーを運営、サーバー間をこれまた専用のクライアントソフトを使って行き来し、チャットしたり、データをやり取りしたりする。

 コミュニティーへの参加にはIDとパスワードの登録が必要で、規律を乱せばBAN(アクセス禁止=コミュニティーから追放)されてしまう。さながら紳士の会員制サロンであった(もちろん女性ユーザーもいた)。テレホーダイ時代のBBS(電子掲示板)から、ブロードバンドインターネット時代に入り、ADSLやCATVインターネットサービスが出始めた時期だ。当時、仲間内で回線の品質についてお互い熱心に評価し合ってた記憶がある。

映画『Winny』より
映画『Winny』より
写真:(C)2023映画「Winny」製作委員会
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 参加者はまさに多種多様。大学生、医者、貿易業者、服飾業者、化学者、スポーツ店店員、テレビで見るシンガーソングライター、舞台監督、漫画家などなど。いわゆる「オタク」という感じでも、パリピという感じでもなく、文化的なモノを愛するが、ごく普通の本業を持った人間が多かった。コミュニティーでは頻繁に飲み会が開かれ、私もしょっちゅう彼らと飲み歩いていた。

 鯖管の理念は「共有」であり、デジタル化して圧縮できるものをそこに全て集めようとしていた。なければリクエストすると誰かが持ってくる。誰が持ってきたかは「親切な友達」としか言わない。おそらく最初はみんな、自力でデータ化をしていたので、つまり友達ではなく本人なのだが、それは言わない約束だった。

オレが観に来たのは『京都府警対組織暴力』か?

 映画『Winny』は星を愛し、空を見る金子勇氏の姿から始まり、まるで市川準監督作品のような優しい音楽とキラキラとしたタイトルロゴで始まる。パンフレットにも書かれているが、関係者にはまだ存命な方も多いので、人間の描き方はリアルで詳細だ。

 特に金子氏(皮肉にも主役である彼は故人だが)を演じる俳優東出昌大さんの演技は素晴らしかった。好きなことになると早口でハイテンション、それ以外のコミュニケーションは基本面倒という「ああ、知り合いのオタクでいるいる、こういう人」というリアリティーを持って画面から飛び出してくる。

金子勇氏を演じる東出昌大さん
金子勇氏を演じる東出昌大さん
写真:映画『Winny』より(C)2023映画「Winny」製作委員会
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 逆に、冒頭著作権侵害で京都府警に逮捕される若者は一見するとややパリピ勢で違和感があるのだが、それだけ普通の人に浸透していた……という表現なのだろう。ストーリーはテンポよく進み、金子氏は逮捕され、弁護団が結成されて後半へとなだれ込む。ストーリーの序盤、京都府警が大変恐ろしい存在として描かれるのも見どころの1つだと思う。「オレが観に来たのは『京都府警対組織暴力』か?」というぐらいの迫力だ。

 金子氏の逮捕は、アングラコミュニティーでも衝撃的に受け止められた。「俺たちもヤバい」と浮足立つ人もいたが、一方で「作ったプログラムが違法使用されたら開発者が逮捕されるのおかしくね?」という至極まともな疑問も呈されていたのを覚えている。映画も後半、この疑問を軸に、無罪を立証しようとする弁護団と、有罪に持ち込もうとする検察との間の法廷劇へと展開していく。

 一方で、映画の中で再三描かれていたテレビでのセンセーショナルな取材や報道にはちょっと違和感が残った。個人的には「そんな大騒ぎになってたっけ?」くらいの印象がある。