不正が生まれた瞬間(とき)
A社の設計部門では、今まさに新型の機構ユニットが設計の最終段階にきていた。しかし、ある特性が顧客要求を満たしておらず、設計担当者は検討を続けていた。
この製品にはいくつかの重要な特性がある。だが、それらの全てを満足できるような最適条件を見つけられずに苦戦していた。ある特性を顧客要求の基準内に収めようとすると、別の特性が大きく変動して顧客要求から逸脱してしまうのだ。理論的なシミュレーションも行い、おおよその最適値は算出できている。ところが、試作の実機では理論値通りの結果にならず、設定担当者が最終的な仕様の詰めを行う必要があった。
基準を満たさない複数の特性はいずれも顧客が妥協しないと思われる重要な特性だ。そのため、設計担当者はもちろん、経験の豊富な設計課長も議論に加わって解決に向けて取り組んでいた。
設計完了の予定日には、関係部門が集まってデザインレビュー(設計審査)を実施する予定になっていた。それまでに設計を完了しておかなければ、他部門に大きな迷惑を掛けてしまう。A社では「フロントローディング」を実践しており、調達部門や製造部門など関係する他部門が既に先行していくつかの検討を進めていたからだ。もちろん、設計の期日を守れなければ、顧客への出荷の影響も避けられない。
設計担当者はもちろん、設計課長も考えられることやできることはやり尽くしていた。完全に行き詰まったと思ったとき、ある出来事が発生した。それは、実験室で活用していた試作評価用の治具の配線が、データ測定中に断線したことに端を発する。すぐに配線を修理して再測定したところ、全ての特性がきれいに顧客要求を満たす値になっていた。
原因を明らかにするために設計担当者が治具を調べていると、修理のためにはんだ付けした箇所がかなり熱いことに気がついた。そこで、冷却スプレーで治具の温度を下げてから測定を行うと、それまで通り、いくつかの特性は顧客要求から逸脱した値になる。そこで、ドライヤーで治具を温めて測定を行ったところ、全ての特性がきれいに顧客要求を満たす値になった。
設計担当者は、治具の温度が特性にどのような影響を及ぼしているのかを追究した。だが、理由を明らかにすることはできず、そのうち、設計検討に費やす時間の余裕がなくなってしまった。こうして切羽詰まった設計担当者は、「越えてはならない一線」を越えてしまった。
A社では、デザインレビューの際に参加者の目の前で評価試験を実際に行い、設計課が提出した評価結果に食い違いがないかどうかを確認するルールになっている。ところがこのとき、設計担当者は、他の人には気づかれないように治具を温めておき、その状態で評価試験を実演。その結果、問題がないという社内判定を受けて、設計完了にこぎつけた。