「水野さんって、何でも自分がやったみたいに言うでしょ。嘘なんです。実は全部僕がやったんです。水野さんは言うだけ」。 好青年にしか見えない風貌、物腰から強気の発言が飛び出す。高橋孝治。数学科出身という異色の経歴を持つエンジニア。水野と出会い、育てられ、そしていつかその口ぶりまでも…。
事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ。
会議室での戦いに敗れた日産自動車の水野和敏は、怒りをばねに次なる作戦を考えた。現物を作って、役員を乗せてしまおう。現場に出て、現物に触れて、現実的に行動する──という「三現主義」を地で行こうというわけだ。
それも秘密裏に作り上げ、突然乗せてしまおうというゲリラ作戦である。大組織を議論だけで動かそうとしてもムリ。やってみせるしかない。けど、さすがに1人ではできそうにない。試作車を1台、秘かに作ろうというわけだから。
「孝治しかいないな、やっぱり」
水野は高橋孝治の顔を思い浮かべた。
「でもな…」
通常の業務をこなしながらのゲリラ活動。信じられないハードワークになるだろう。
「あいつのカミさんには俺から謝っておくか」
執念の就職活動
高橋がクルマに魅入られるキッカケとなったのは、父親の入院だった。暇つぶしに読んだ雑誌で、その世界に触れてしまったのである。
「すげえな」
彼を引き付けたのは「フェアレディZ(以下、Z)」や「GTR」といったスポーツカー。
「こんなの作ってみたいよな」
ここで一躍奮起、工学部に入ってエンジニアを目指そう、と言いたいところだが時既に遅し。その時、高橋はもう大学生だった。それも理学部数学科の。
NHKの報道部署でアルバイトをしていた高橋は、マスコミ業界にも未練があった。コネを生かせば入れなくもなさそう。逡巡の果てに彼は、日産を志望することを決意する。志望動機の欄には、はっきりこう書いた。「クルマを設計したい」と。
入社してからも、高橋は設計志望であることをアピールし続けた。数学科出身者は通常ならシステム開発の部署に行く。事実、今に至っても設計部に数学科出身者は高橋1人だという。入社後も機会のあるたびに繰り返した。「クルマを設計したい」「クルマを設計したい」。
1990年7月、工場実習と販売実習を終えて配属を発表する時期が来た。
「高橋孝治」
「はい」
「設計部勤務を命ずる」
「ありがとうございます」
夢はかなった。けど、ここで喜んいるわけにはいかない。周囲を見回せばバリバリのエンジニアばかり。まずはこの差を埋めなければ。早速高橋は、独身寮で毎晩2時間勉強することを自分に課す。構造力学、材料力学。数式が出てきても抵抗がない。数学科の強みはそれだけだった。