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日経ものづくりのコラム「ドキュメント」に掲載した事例を再録しました。本記事は、日経ものづくり2005年8月号に掲載したものです。

キャタライザーを知り尽くす蒔苗龍博の奮闘により、エンジンの出力は、目標の300馬力にあと一歩というところまで向上してきた。しかし、その先の道程が長く険しい。エンジンの開発責任者として瀧田正文はさまざまな手を尽くすものの、万策尽きる。そして再び、蒔苗の下を訪れた。

「日本カー・オブ・ザ・イヤー2004‐2005」受賞時の様子
「日本カー・オブ・ザ・イヤー2004‐2005」受賞時の様子
発売からほぼ1カ月後の2004年11月11日に受賞した。(出所:ホンダ)
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 排気量3.5L、V型6気筒のエンジンで出力300馬力という目標は、開発責任者であるホンダの瀧田正文が想像していた以上に厳しいものだった。エンジンを知り尽くす瀧田が思い付く限りのアイデアを試す。290馬力が293馬力に。293が295に。295が296、297に。手持ちのカードは使い果たす。だが、残り数馬力がどうしても出ない。

 「例の『レジェンド』の件で、ちょっと相談に乗って欲しくて」

 瀧田の目の前で電話をかけるのは、キャタライザーの開発を担当する蒔苗龍博。残りは数馬力。瀧田はこの男に一縷(いちる)の望みを託したのだ。

左から瀧田正文、蒔苗龍博
左から瀧田正文、蒔苗龍博
300馬力という未知の世界に挑む瀧田を、経験豊富な蒔苗が支え続けた。(写真:田中 昌)
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 「蒔苗さんが相談? また無理難題をおっしゃるんでしょう」

 「またとは人聞きの悪い。無理難題を言ったことなんて1度もないですよ」

 「……。で、相談っていうのは?」

 「実はエンジンの出力のことで」

 そう言うと、蒔苗は機密部分をうまく煙(けむ)に巻きつつ、開発状況を話し始めた。どうやら、相手は部品メーカーのようである。

 「大変ですねぇ。ただ、エンジンの方で万策尽きたのは分かりましたけど、なぜまたうちに?」

 「そこなんですけど、インジェクターベースの金型の鋳砂をもう1つ細かいクラスに変えられないかと思いましてね」

 インジェクターベースとは、インテークマニホールドとシリンダーヘッドの間にある吸気系部品のことだ。この一言に、横にいる瀧田が大きくうなずいた。

 「細かいクラスに…。ははあ、なるほど。面粗度を上げて流量を増やせば出力が高まる、ってわけですね」

 「さすが、話が早い。それじゃあ」

 「ちょっと待ってください。理屈は分かるけど、ホンダさんはそれでホントに良いんですか。出力性能が変化するってことは、他の機種との共用が難しくなるってことですけど」

 「もちろん分かっています。今回は特別」

 「しかし、うちとしては…」

 「うちとしては何ですか?」

 「正直、やりたくない。外観は別の鋳砂を使ったインジェクターベースと同じでしょう。管理が大変なんですよ」

 「しかし、出力を上げるにはこの手しかないんです。うちの金看板のレジェンドを世に出せるか出せないかは、全てお宅にかかっているんですよ」

 ここで電話の会話はいったん途切れた。相手の返事を待つ蒔苗。心配そうに見守る瀧田。しばしの沈黙の後、電話の相手から答えが返ってきた。

 「蒔苗さんは、相変わらず無理難題を言いますね」

 「いえ、無理難題なんて言った覚えはありませんよ。お宅の力なら、十分にできると信じていますから」

 「……。他でもない、蒔苗さんの頼みだ。了解しました、受けましょう」

 「ありがとうございます」

 受話器を置いた蒔苗に、瀧田が深々と頭を下げた。

 2人の元に、鋳砂を変えた新たなインジェクターベースが届いたのは、それからしばらくしてからだった。直ちに、古いものと交換し、エンジンの試験を始める。瀧田と蒔苗が固唾(かたず)をのんで見守る中、水動力計の出力を示すデジタル表示器の数字は順調に増えていく。100、200、250…。エンジンがうなりを上げ、さらに出力は上昇を続ける。270、280、290。ここまでは問題ない。勝負はこれから。出力が295馬力を超える。新しいインジェクターベースが試される時が来た。

 実験室全体が緊張に包まれる。エンジンのうなり音が最高潮に達する一方で、出力の上がり方は徐々に鈍くなる。296。297。298。以前はこの辺が限界だった。299。新しいインジェクータベースの効果が出ている証拠だ。あと一歩。しかし、デジタル表示器の数字は299のまま。これでもダメか…。絶望感が漂い始めた、その時だった。3桁の数字がそろって変わる。300。ついに目標に達した。実験室に拍手と歓声がわき起こる中、2人の男はガッチリと握手を交わした。長く厳しい戦いが終わりを告げようとしていた。