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服部セイコー創立110周年の記念モデルが成功し、本格的に機械式腕時計の事業化に動き始めたセイコー電子工業。復刻するムーブメントも決まり、図面のCAD化も順調に進行する一方で、問題が出てきた。服部セイコーとの間で、実際に発売するモデルと時期が決まらない。一刻も早く機械式腕時計の復刻を願う田中淳に焦りが生じる。

日経ものづくりのコラム「ドキュメント」に掲載した事例を再録しました。本記事は、日経ものづくり2005年12月号に掲載したものです。
左から高橋岳、重城幸一郎、滝沢勝由
左から高橋岳、重城幸一郎、滝沢勝由
(写真:栗原克己)

 1992年初夏。東京・京橋の上空には灰色の梅雨雲が低く垂れ込み、雨がぽつりぽつりと落ちてきた。その中を、服部セイコー(現セイコーホールディングス)本社に1人の男が飛び込んで行く。セイコー電子工業(現セイコーインスツル)の田中淳。今日こそは。不退転の決意を胸に訪問先の商品企画部門へと向かった。

 田中がこうして訪れるのは、幾度目のことだろう。110周年記念モデルに続く機械式腕時計の次期発売モデルを検討する会議。機械式腕時計の復活に積極的なセイコー電子工業と、慎重な姿勢を崩さない服部セイコー。「造る側」と「売る側」の溝は埋まらず、議論は毎回平行線をたどっていた。

「繰り返しになりますが、110周年記念モデルは機械式が売れました。機械式は腕時計の原点。その歴史の再現を市場は望んでいます。時計メーカーの老舗として、機械式時計を本格的に復活させることは、文化的な責任を果たす意味でも大きいと思うのです。さらに、スイス勢の高級機械式腕時計の売り上げは年々伸びています。その様子を見ているだけでなく、一刻も早く市場に参戦する必要があります」

「ただ見ているわけじゃない。田中さんの企画書はリスクが大きすぎます。うちの経営陣が首を縦に振るとは到底思えない」

「リスク?」

 田中の企画書には、セイコー電子工業で機械式腕時計復活の命を受けた「KT準備室」が選んだ52系ムーブメントをベースに、仕様に応じてグレード展開する旨が記されていた。

田中 淳
田中 淳
セイコーインスツル ウェアラブルマーケティング部部長。(写真:栗原克己)

「セイコーは機械式腕時計を捨て、クオーツで世界一に上り詰めました。なのに今さら、機械式腕時計を大々的に展開するなんて、できっこないですよ」

「でも、あの110周年記念モデルはすごく評判が良くて、あっという間に売り切れたじゃありませんか。市場は待っているんです。あの熱が冷め切らないうちに、もっと広い層の顧客にセイコーの歴史を訴えていきましょうよ」

「数百個の記念時計ならいざ知らず、田中さんの言うようにグレード展開して本格的に数をこなすとなると、我々販売サイドにはそれなりの準備が要ります。特に、機械式腕時計の場合には修理はもちろん、定期的なメンテナンスを必要とするから、我々や販売店にはその知識が求められる。だけど、機械式腕時計を捨てた今となっては、そこが一朝一夕にはいかないんですよ。少なくとも数年はかけて準備しないと」

 セイコーブランドの現在の位置付け、仮に商品化したときのセイコーブランドの名に恥じないアフターサービス体制の構築。その2点が、服部セイコーにとって機械式腕時計復活の大きな障害だった。会議室には、窓越しの厚い梅雨雲のような暗雲が垂れ込める。

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