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機械式腕時計の売り上げが順調に伸びる中、そのラインアップを増やすセイコー電子工業。顧客からの熱い要望もあり、クロノグラフ、そして機械式「グランドセイコー」を市場に投入することが決まった。この2つを商品化するに当たり、設計部は新規ムーブメントを設計するという決断をする。奮い立つ若き設計陣。だが、彼らには余裕をもって設計する十分な時間は与えられていなかった。

日経ものづくりのコラム「ドキュメント」に掲載した事例を再録しました。本記事は、日経ものづくり2006年1月号に掲載したものです。
左から重城幸一郎、大平 晃
左から重城幸一郎、大平 晃
(写真:栗原克己)
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 セイコーの機械式腕時計が20年の深い眠りから覚めて5年の歳月が流れた。1997年。ついに、複雑時計の代表格であるクロノグラフと、セイコーのフラッグシップ・モデル「グランドセイコー」の商品化が決まった。片や、機械式腕時計の技の粋を集めるモデル。片や、セイコーブランドの頂点に君臨するモデル。この2つの機械式腕時計を市場に投入して初めて、機械式腕時計の復活物語は最終章を迎える。ところが、その物語が今、未完の危機にさらされようとしていた。

 時間がない──。セイコー電子工業設計部の若手のホープ、高橋岳と重城幸一郎が頭を抱える。彼らの提案で、新規ムーブメントを一から起こすことになったものの、設計は遅々として進まない。

 クロノグラフとグランドセイコーの各ムーブメントのベース部分を共通化した上で、精度を確保するための要となるてんぷ周りは重城、クロノグラフのストップウオッチなど複雑機構は高橋と、設計を分担して効率化したにもかかわらず。理由は、彼らにとって機械式腕時計の新規設計が初めてのことに加えて、クロノグラフは複雑さで、グランドセイコーは精度で、従来のラインアップとは比較にならないほど高いレベルが要求されていたからだ。

 2人は未開の原野をさまよい続ける。クロノグラフ、1998年初め。グランドセイコー、1998年末。この発売時期という目に見えぬ重荷を背負って。

人員増のための妙案

 設計を統括する滝沢勝由もまた、厳しい現実に頭を痛めていた。高橋と重城の2人は、主に構想設計に時間を取られ、詳細な図面が描けない。自分を含めて今の3人体制では無理。発売時期に間に合わせるには、倍の人数は必要だ。

 しかし、増員の話は何度か課長に断られてきた。どうしたら説得できるのか。目を閉じ、思慮を巡らす滝沢。しばらくあって、目を開ける。あの手があるか。そうつぶやくと席を立ち、設計課長の中尾秀幸の元に向かった。

中尾秀幸
中尾秀幸
セイコーインスツル マイクロメカ・ビジネスユニットムーブメント事業部時計設計部課長。(写真:栗原克己)
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「中尾さん、例の増員の話なんですが」

「またその話か。君も知っているように、新規製品の設計は大体2人。もちろん、これまでの新規設計と全然違うことは、俺も十分承知している。だからこそ、君には高橋と重城をつけて3人でやってもらっているんだ」

「ええ、それは分かってます。だけどやっぱり間に合わないんです」

「……。仮に増やせるとしてだ。せいぜい1人だ」

「いえ、あと3人下さい」

「それはいくらなんでも無理だよ」

「じゃあ、こういうのはどうでしょう。あと3人増やす代わりに、3次元CADを利用して、今回の新しいムーブメントを全て設計する」

「3次元CADって、この前入れたやつだろ。やっと1つのモデルの開発に使ったくらいって聞いてるけど」

 当時、設計部は3次元CADを導入したばかり。先行して、あるクオーツ時計の設計に利用してみたものの、慣れない操作に苦労の連続だった。

「時間がない上に、3次元CADか」

「リスクは覚悟してます。だけど、3次元CADは視認性が良い、干渉チェックも簡単にできるなどたくさんのメリットがあります。今回のムーブメントの開発でも、複雑なクロノグラフの機構などをチェックするには有効です」

「実はこの前、俺も3次元CADを触ってみたんだよ。あれが使いこなせるようになれば、確かに業務プロセスは大きく変わる」

「ええ。機械式であれクオーツ式であれ、ますます高機能化する腕時計の開発には、3次元CADは欠かせないツールになるはずです。問題は…」

「2次元CADに慣れた設計者が3次元CADに尻込みしていることか」

「その通りです。だから、今回のチームで全ての設計に3次元CADを活用し、導入に弾みをつける。注目度の高いプロジェクトで成功すれば、導入機運は一気に高まるはずです」

「どのみち3次元CADの導入を推進するプロジェクトチームを立ち上げる予定だったんだが、それを君たちが兼ねるというわけか。考えたなぁ」

「どうでしょうか」

 畳み掛ける滝沢。

「妙案だよ、これは。きっと部長も納得してくれるだろう」

「ええ、そう願いたいものです」

 願いはかなった。設計部長は滝沢の提案を了承。彼のチームはこの春入社する新人1人を含む6人に増員された。

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